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成瀬巳喜男「妻よ薔薇のように」

昭和10年(1935年)の日本映画。

丸の内OLの娘が、近くに勤務する婚約者と落ち合う。自宅には短歌という趣味に没頭している母がおり、仕事から帰宅した娘が晩御飯を作っている。

丸の内をはじめとする戦前の日本の風景はとても美しい。和の室内の意匠やしつらえ、インテリアやファッションもとてもセンスがいい。

そして娘が腕によりをかけてつくるご馳走は、カツレツらしきもの。カツレツにキャベツの千切りのサラダのようでした。

娘はスタイルも良く、現代からみてもかなりドライな性格。しかし言葉遣いは丁寧で品があり、思いやりがある。婚約者はとても優しく始終娘にリードされている。平成のアラサー男性とほとんど変わらないと思う。

この婚約者、娘の家にお邪魔した時も、お客様の立場でありながら、「あちらにお茶かあるから入れてね。紅茶もあるわよ」なんていわれている。戦前の男性なら明治か大正の始めの生まれだと思うが、男尊女卑が当たり前かと思っていたが、そうじゃなかったの?

実はこの娘の家庭は、父が砂金採りの山師で、妻子を置いて長野辺りに行って帰ってこない。しかもそこでお妾さんと共に暮らしている。

娘は自分も結婚を控えており、また母も人から仲人を頼まれたこともあり、父を迎えに行こうと山に向かう。

しかし父には、妾だけでなく、年頃の娘と小学生の息子までおり、一家を支えているのは、髪結いや裁縫を行なっている妾とその娘であった。父は山師という博打打ちのようなことをしており、全く生活力がないようである。

しかも、娘が父からの仕送りだと思っていたものも、実はこの妾が、自分の娘の女学校進学を断念させ、送っていたものだった。

妾は自分と子供達の生活、夫の生活、そして夫の本妻と娘の生活まで支えていたのである。人が良すぎる?

娘は妾の優しさに触れ、父が妾に惹かれるのもわかる、と思う。

そして父をちっとも労らず、自分の事しか考えない勝手な母の負けだと思う。

父はいったん娘と共に東京に帰るが、用事が済むと、早々に山に帰ってしまう。

しかし戦前の映画とは思えないテンポとコミカルな軽快さ、古くて新しい映画だと思った。

だけどこの父は、生活力もないダメ男ではないのか?本宅でも妾の家の方でも父に帰ってきて欲しいと言っているが、何で?

何で?と思う時点で、私も本妻と同じく、魅力のない女なのかなー?

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