Netflixで、進撃の巨人シーズン3#44「願い」、見ました!

エレンとヒストリア奪還の為、礼拝堂の地下に突入する調査兵団とそれを迎え撃つ憲兵団!、という#44「願い」を見ました。

最初は巨人が敵だった進撃の巨人も、だんだん真の敵は「人」になりつつあります。
漫画では、既にエレン達は壁の外に出て海に到達、そしてその海の向こうの世界へと進んでいますが、そこでの敵も「人」です。

「新世紀エヴァンゲリオン」も最初敵は使徒だと思っていたけど、結局最後は人間が敵でした。
映画「バイオハザード」も敵はゾンビだと思っていたけど、ゾンビを産み出すT細胞を作り出したのは人間でした。

他の映画や小説でも見かける「人間の敵は人間」の物語パターン。最初は巨人だったりゾンビだったり異能力者だったりが敵のように見えても、結論としては「人間の敵は人間だった」に辿り着きます。もしくは敵だと思っていた者や状況を作り出しているのが、人間だったりします。

敵にならない解決方法ってないのでしょうか。それは、より時間も労力もかかる「話し合い」ということなのでしょうか。「話し合い」には、加えて「罪を憎んで人を憎まず」という精神が必要だと思います。
2015年11月、フランス、パリで起こった同時多発テロ事件の犠牲者遺族の男性が「私は君に憎しみを贈りはしない。君はそれを望んでいるだろう。君が僕がおびえることを、安全のため自由を犠牲にすることを、期待していただろう。君の負けだ(引用元:https://www.sankei.com/world/news/151119/wor1511190075-n1.html)」とテロ首謀者に向けてFacebookで発信されたことを思い出しました。

感情と、起こった出来事とその解決方法を分けて考える、難しいですが、これだけで言い争いの大半は収まると思います。そしてこれが人間の知性、人間が動物とは違う点なのではないかなと思います。

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