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【Opera】日生劇場『ルサルカ』

 ドヴォルザークの『ルサルカ』は一体どういうオペラなのか。台本を書いた詩人で劇作家のクヴァピルが参考にしたのは、よく知られているアンデルセンの「人魚姫」のほかに、フーケの「ウンディーネ」、ハウプトマンの「沈鐘」、そしてチェコの伝承詩など。「水の精ルサルカが人間の王子に恋をして人間に変身するために声を失うが、王子が他の女性に心変わりをしたために罰を受ける」という物語は、いずれにせよ非現実的な筋立てにちがいない。

 では、このオペラを現代に上演する意味とは何なのか。ワーグナーの影響が色濃く認められるドヴォルザークの音楽は確かに美しく聴くべきところがあるものの、現代を生きる私たちにドラマとしての説得力を持たせるのは非常に難しい。もちろん、近年上演されているたいていのプロダクションがそうであるように、現実とは一切関係のない、徹底的なファンタジーとして描くのはひとつのやり方だろう(昨年のMETでのメアリー・ジマーマンの演出はその点で卓越した舞台造型だったと思う)。しかし、そうした「美しいファンタジー」である以上の意味はこのオペラにはないのだろうか。

 日生劇場が演劇の演出家である宮城聰を演出に迎えて『ルサルカ』を上演すると聞いた時に、何か新しいものが観られるのではないかと期待を抱いたのは、こうした疑問をずっと抱いてきたからだ。しかし結論からいうと、残念ながら私の疑問は解決されることはなかった。

 空間構成を担当した建築家の木津潤平は、舞台上にふたつの壁のようなものを築いた。その壁が日生劇場本来の壁の模様と同じであるために、客席全体が舞台とひと続きになったような印象を与える。これは大きな効果をあげていた。序曲が鳴り響いた時から、客席にいる私たちは自然に、ルサルカが住む森の奥へ、水の底へと入っていくような感覚を抱かせる。しかし一方でこの壁のために舞台の面積は縮小。また今回、おそらくはオケの人数が多すぎてピットに入りきらなかったからか、木管楽器奏者が舞台の上手と下手に上がっており、結果的に歌手のアクティング・エリアは極端に狭くなってしまっていた。そのエリアは階段状になっていたので客席から観にくいということはなかったが、歌手が「演技」をするのが非常に難しい空間になっていたことは否めない。

左から、外国の公女:秋本悠希、王子:大槻孝志、ルサルカ:竹多倫子

 こうした空間的制約は、果たして演出家にとって「制約」だったのだろうか。全体を通じて歌手の動きが極端に少なく、しばしばその場に立ったままで歌う場面があったことは、近年の演劇的な表現を積極的に取り入れたムジークテアターの手法によるオペラを見慣れている身にとっては、正直古くさく面白みに欠けるものとして映ってしまう。演者がオペラ歌手であるということで演出家が「遠慮」をしたのだろうか…まさか。これが、このオペラの中から見出された「表現」だということか。

 意図が伝わらなかった場面は他にもあるのだが、いちばん疑問を感じたものをひとつあげておく。第2幕、王子の城での舞踏会の場面。ここには助演として、演出家が芸術総監督を務めるSPAC-静岡県舞台芸術センターのメンバーが登場した。貴族の男女が物言わぬルサルカを散々からかって、そのために彼女の孤独が一層浮き彫りになるというシーン。達者な演技は、城の中で孤立するルサルカの心情を存分に伝えてくれたが、なぜあんなにセンスの悪いドレスなのか、そして踊りがなぜラジオ体操のようなものだったのか、私にはまったく意味がわからなかった。

 辛辣なことばかりを書いてきたが、成果ももちろんあった。その最大のものはやはり指揮者の山田和樹だろう。2018年から首席客演指揮者に就任する読売日本交響楽団と、2014年から音楽監督を務めている東京混声合唱団を率いての布陣で、山田はこのオペラの音楽的な美を十二分に引き出すことに成功した。やはりこの人はオペラに才能を持っている。私が観たのは12日で、歌手陣はルサルカ田崎尚美、王子は樋口達哉、ヴォドニク清水那由太、イェジババ清水華澄、外国の公女は腰越滿美という実力派ぞろい。各人チェコ語というハンデを乗り越えた歌唱の素晴らしさに舌を巻いた(だからこそ、このメンバーであればもっと「演じられるのに」という思いが残るのだ)。最後になったが、ベテラン沢田祐二の照明が美しいだけでなく、音楽的な流れに完璧にマッチしており抜群の効果をあげていたこともつけ加えておきたい。

 残念ながらこの公演からは、私の『ルサルカ』観は覆されることはなかったが、音楽の素晴らしさは存分に伝わってきた。今後、このオペラに新しい意味を見出してくれるような意欲的なプロダクションが生まれてくることを期待したい。

2017年11月12日、日生劇場。

写真:伊藤竜太(Lasp, inc.)

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