【Opera/Cinema】METライブビューイング『椿姫』

2005年ザルツブルク音楽祭でネトレプコ主演で話題となったヴィリー・デッカーのプロダクション。今回はタイトルロールにソーニャ・ヨンチェヴァ、アルフレードにマイケル・ファビアーノ、そしてジェルモンは初演と同じトーマス・ハンプソンという布陣。

初演時から様々なところで話題になってきた演出は、デッカーらしく、余計な装飾のないシンプルな舞台装置で登場人物の心理をむき出しにする。前奏曲からヴィオレッタが登場し、音楽と演技で彼女の苦しみや悲しみが生々しく描き出される。特に合唱を、女声も含めすべて男性にしたのは秀逸。黒いスーツの一群の中、真っ赤なドレスにハイヒールのヴィオレッタが官能的に歌い踊る様は、彼女の娼婦という境遇をいやがうえにも強調する。舞台上に常に配置されている大きな時計は彼女の残り時間を刻んでいるのだろうし、また医師グランヴィルが事あるごとに彼女の周りを歩き回っているのは、迫り来る「死」の恐怖に彼女が必死に耐えている悲痛さを感じさせる。

ヴィオレッタが、よくあるような「運命に翻弄されるかわいそうな女性」ではないことに注目したい。アルフレードの熱い告白をあしらっていく第1幕の彼女は、強く美しい。男たちの欲望の対象でしかない自分、真実の愛を知らぬまま死にゆく自分。一瞬でも気をゆるめたら立っていられないほどの境遇にあって、それは彼女の必死の抵抗だ。だからこそ、そのあとの長大なアリア「ああ、そはかの人か〜花から花へ」が胸に突き刺さる。やっと保っている自分が、「愛」によって崩壊してしまうのではないかという恐怖。しかしそれでもその「愛」に引き寄せられずにはいられない。強さと弱さが表裏一体となったヴィオレッタ・ヴァレリーという女性のすがたが、これほどまでに真に迫ってくる経験はなかなかない。

下手をすれば「お涙頂戴の通俗的なメロドラマ」に陥ってしまうこのオペラを、これほどまでにリアルなドラマに仕立て上げたのは、演出が「音楽の力」を信じていたからに違いない。シンプルな舞台装置は、演奏者の力量をあらわにしてしまうからだ。その点、タイトルロールのソーニャ・ヨンチェヴァはほぼ完璧だった。いったいどこからどのようにしてその表現が生まれてくるのか、「熱演」という言葉が矮小にみえてしまうほど、彼女の「楽器」はケタ違いである。かなり傾斜のついた舞台上を走ったり転がったりしながら、なめらかな低音域から高音のコロラトゥーラまでを自在に操るヨンチェヴァは、ネトレプコに続くメトのスターにふさわしい。『椿姫』を観るよろこびは、やはりプリマドンナの実力にかかっているという当たり前のことを実感した(最近はそのよろこびに浸りきれない上演が多いということもふまえて)。

ニコラ・ルイゾッティの指揮は、アリアのテンポを極端に落とし、たっぷりとためをとる独特なもの。ちょっとやりすぎかな、と思う箇所もなかったではないが、この簡素な舞台で音楽を際立たせるためのしかけとしては、これぐらいが必要だったのだろう。マイケル・ファビアーノのアルフレードも、単なる純情青年ではない、強い意志もある人間臭い男性で、個人的に初めてアルフレードに好感を持った。ちょっと残念だったのは、わが青春時代のアイドル、トーマス・ハンプソンが、若い2人に比べて声に伸びがなく「年とったなあ」と感じてしまったこと。でも、相変わらずものすごくカッコ良かったのでよしとしよう(笑)。

上演は4/14(金)まで。『椿姫』に対する見方が変わる名プロダクションである。未見の方はぜひ。

2017年4月10日 東劇

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室田尚子

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