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アンデルセンの幻のバレエ?

ディアギレフのお誕生日を祝ったばかりですが、4月2日は童話作家ハンス・クリスチャン・アンデルセンのお誕生日。

彼はデンマーク生まれ、1807年生まれ、亡くなったのはパリ・オペラ座の今のガルニエ宮が会場した1875年。ロマンティック・バレエ時代を生きた人でもあります。

そんな、アンデルセンの童話と聞いてまず思い出すのはどんな作品でしょう?

ヘッダーに使わせていただいた『人魚姫』?それとも『赤い靴』?あるいは『裸の王様』?

私はそれらももちろん良く覚えていますが、印象に残っているのは別の作品。
『エンドウ豆の上に寝たお姫さま』
幼い頃童話を沢山読んだり、読んでもらったりしていたの中でもエンドウ豆があったら自分でもわかりそう、それが本物のお姫様を見分ける方法というのはちょっと不思議…とかわいくないことを思ったのでした。
発表された当時にも地位が高いと繊細という表現はよろしくない、という批評が出たことを割合最近知りました。
私がひねくれていたわけではなさそう?!

劇場とのつながりでいえば、アンデルセンはデンマーク王立劇場に役者として所属していたこともあるのはあまり知られていないかもしれません。
変声期を乗り越えられずにその道を諦めたよう。

劇場芸術と無関係とは言えないのがアンデルセンでもあるわけです。(デンマークの発音だと「アナセン」ですが長らく日本で「アンデルセン」で定着してしまっていますね、そういえば…)

バレエ化された作品も色々。

『赤い靴』は今マシュー・ボーン版の映画が公開中ですし、『人魚姫』はジョン・ノイマイヤーが振付けています。

そして実は『裸の王様』はバレエ・リュスの幻の作品の一つなのです。
本当は1930年のシーズンに初演されるはずだった作品。

バレエのタイトルは『王様の服』。
ディアギレフが最後に恋に落ちた相手でもあるイーゴリ・マルケヴィチ作曲、美術・衣裳は最初はピカソ、そして実際には『牝猫』で透明のチュチュをデザインしたナウム・ガボと打ち合わせが行われた事が分かっています。

新しい音楽家を探していたディアギレフに見出された時にマルケヴィチは何と16歳!実現していたら18歳でバレエ・リュスでの初演となるはずだったのです。若手が多いバレエ・リュスではありましたが、ティーンエイジは多くはありません。
天才を見抜く天才に見出された最後の才能ともいう事ができます。

ですが、残念ながら『王様の服』はディアギレフの死によって実現することはありませんでした。
どんな作品になったのか想像だけが膨らみます。


ちなみにこのマルケヴィチ、後にニジンスキーの娘キラと1回目の結婚をしています。キラとの間にはニジンスキーと同じ名前ワツラフという名前の息子も授かっています。

また日本との関係でいえば、指揮者としてしばしば来日しているのでご覧になれた方もいらっしゃるかもしれません。






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