知りたいことは道のりを味わうことで自分の軸になっていく

すっかりご無沙汰してました

アメブロは随時更新してましたが、

こちらの更新が滞っていました。


こちらは主に死別についてをメインに綴っていましたが、

私が伝えられることは何だろうとずっと考えてました

最近クライアントさんから、少し前の私の顔の変化がすごくてビックリする、という声をいただき

再度アップしたのですが

カウンセリングを学び出してからの顔の変化

心の変化って自分ではみることができないけど

心がどんどん変わるのを

わかりやすくみれるのが顔、だったりします。

一番左はまだまだ子供を亡くしたかわいそうな私、を持っていた写真

困り顔のときは、笑い方がわからす目を細めれば笑っているものだとごまかしていました

右下には不安ながらも、かわいくなることをやってみたいとやっていた写真


こんな風に写真一つにその時の心が映し出される


早く心を軽くしたい

早くこの苦しみから逃れたい

ずっとずっと焦っていましたし、死別を乗り越えてそうな人の話をブログなどで探しまくってました。


気づいたのが、子供を亡くしても、私は生きることを望んでいたこと

子供を亡くしても、それに囚われることなく

笑って生きたいと願っていたのです。


だからこその早く乗り越えたい、早く苦しみから逃れたいだったのです。


だから理想の姿に最短でなれる方法を模索していました。

でも、今となれば結局一番大事だったのは

その道のりだな、と思います。

一個一個噛みしめるように歩いた道のりこそが自分の軸になっていく


忘れなさいと言われたって

あなたは亡くなった子から守られていると言われたって

結局一つ一つを自分で体感していくことこそ、

笑って生きたいと願ったあの頃羨ましかった姿に近づいているんだと思います

一つ一つを無かったことにしないで

やってきたことで

亡くした母親という立ち位置すらも

こだわりで無くなっていく


一つ一つ向き合えずにいるうちは、

悲劇のヒロインに味をしめてしまうし

同じ経験した人と自分を比べたり、

同じ経験をした人を助けることで自分の気持ちを昇華させようとしてしまうのです


子供を亡くしたママ向け講座をずっと大事に持っていましたが、

この度手放すことにします

可哀想な人はいない。

可哀想だと思う自分がいるだけ。

せっかく命の大切さを教わったのだから

誰かを恨んでいきるより、

だれかと自分を比べて悲しくなるより

自分が面白いと思えることを全力でやれる方法を模索してやって言った方が100倍楽しい。

私はそんなことをやって行こうと思います