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医師業のブランク後の復帰について

女性医師の仕事にブランクができてしまう原因というと、一番多いのは、子育てのためのブランクではないでしょうか。その次が、留学、特にパートナーの留学に帯同した場合、そして、自分の病気や家族の介護などがあるかと思います。

こういったブランクの多くは、介護を除いては、専門医試験に合格する30歳過ぎぐらいから5〜10年のあたり、つまり30台から40台前半ぐらいまでに生じることが多いかと思います。そして、ちょうどその年代というのは、医師が経験を積んで伸びていくのに大切な時期でもあります。

子供を持った時、仕事が超絶忙しかったりして両立が難しい場合、何年か仕事を休む、あるいはかなり縮小して子育てに専念しよう、という気持ちになるのはよくわかります。また、留学の場合も、本人がメインの留学であれば、臨床のブランクができてもそこでの業績がまた次のステップアップの材料になるので良いのですが、パートナーの留学に帯同する時には子育て時期とも重なって仕事を休む人もいると思います。医師の仕事はいくらでも後で復帰できるし、子育ては今しかできないから、と思ったりすると思います。

しかし、ブランク後の復帰は時としてなかなか大変です。そこで今回は、一旦子育て期にある程度仕事を細くしてしまった場合の復帰について書きたいと思います。


体験談:臨床復帰したきっかけ

私自身は、母校の医局で専門研修をした後、結婚して東京に転居、30歳で所属も医療圏も全く違う場所にやってきました。都会での核家族で子育てをすることになったため、非常勤で大学の研究室に所属して無給で基礎研究と自分の専門の臨床研究を行い、週の半分は都内のクリニックで外来診療のアルバイトをすることで生活費を賄うという選択肢を選びました。

大学の研究室での仕事は楽しかったし、外来診療のアルバイトで贅沢しなければ生活に困らない程度の収入も得られたため、当初は何も苦に思わずやっていました。

ところが、30台後半になる頃に、あれ?と思いました。当初、同じように薄給で不安定な身分だった男性の同僚は、みんな常勤になりちゃんとした役職についている。彼らは後輩にも指導をするようになり、教えながら仕事をすることで人間関係も深め、チーム形成してさらに大きな仕事にチャレンジできるようになっている。

ところが、自分はいつまで経っても無給の非常勤のまま、自分の名前で研究費に応募することもできない状態でした。部下もつかないため、チームになることもなく、自分の仕事が広がっていく感じがしない。あと10〜20年この状態を続けた先は、50台、60台になってもマウスやウサギを一人で運んで小規模な研究をする状態が続くのではないだろうか。

また、臨床でも常勤の同僚との差を感じるようになっていました。外来のアルバイトだけでは結膜炎などの簡単な診察や人間ドッグの二次検診が中心です。経験を積むこともできず、大して臨床力は上がりません。

このままでは、いずれアルバイト市場でも競合は20台の若者になるだろう。雇う側から見れば、董のたったおばさんよりも、ピチピチで素直で長時間働いても文句を言わない若者を雇いたいに違いない。そのうち働き口も無くなっていくのではないだろうか。

このような危機感を感じるようになり、40歳になる頃からうじうじと2年ぐらい迷っていましたが、とうとう長くお世話になった研究室から別の大学病院に軸足を移し、常勤の臨床医として再スタートすることに決めました。


再スタートから1年間のこと

アウェイでの再スタート

私の場合、母校からも離れ、その後10年以上お世話になった研究室からも出て、全く新しい場所での復帰だったために、完全にアウェイな状態での再スタートでした。医療スキルのみならず、人間関係も全て一から再構築が必要でした。

とはいえ、病院診療については本当の駆け出しの頃と違って基本的な知識はあるし、完全に仕事から離れていたわけではないのでそれなりに経験値もあり、緩急をつけてこなす術も身についています。「やっぱり外来のアルバイトとは違って病院の仕事は面白いなあ」と感じてもいました。

ストレスだったこと

しかし、何十年も前に初期研修、専門研修が終わっているにも関わらず、若い先生たちと同じ下働きを課せられ、それが仕事時間を圧迫するのは悩みのタネでした。

また、院内で過剰に低く扱われることが、実は予想以上にストレスでした。指導してくれる上司も自分より少し年下、他の同僚はみんな10〜15歳下という環境でしたが、同じ科のドクターたちはそれなりに理解と敬意を持って接してくれました。しかし、他の科の医師や他職種のスタッフにはそんなことは関係ありません。悪気はなくても職位だけ見てあれこれ言ってくるものです。自分より10歳以上も年下と思しき若者からぞんざいな口をきかれることも度々あり、気にしないでおこうと思っても、やはり毎回もやっとするものは感じました。皆さん、相手が自分より下だと思っても、知らない人には丁寧に接しましょうね。

モヤモヤを飲み込んでいると不整脈や偏頭痛が出たりして、「このまま無防備にストレスに晒されていたらそのうち身体を壊すかもしれない」と思い、瞑想に関する書籍を何冊か購入して、瞑想の練習などしてみたりしていました(^ ^)。

「こんなふうに感じるのは、自分がわがままだからだろうか?」などと考えたりもしました。しかし、少し後になって、同じようにブランク後に研修をした友人が似たようなことを言っていました。その友人は、実際少し身体を壊して治療を受けることになってしまったそうです。やはりプライドを踏みにじられる扱いを受ければ、人間はそれなりにストレスを感じ、身体が反応を起こすものなのでしょう。

元の非常勤の研究員に戻ろうかと考えたことも何度かありました。そこで、

ここで辞めた場合のメリットとデメリット
ここで続けた場合のメリットとデメリット

を全て紙に書き出してみたところ、どう考えても続ける方が良いという結論に達し、非常勤に戻る選択肢は消しました。

1年後に転職のオファーがくる

そうこうしながらもなんとか1年ほど過ぎた頃、転職の話が来ました。しかも、元々自分のやりたかった専門の仕事ができるポストで、役職も一つ上がるというものでした。復帰を決意しないで、前のまま非常勤で研究とアルバイトだけしていたのでは絶対に有り得なかった展開でした。


復帰の際に考えるべきポイント

結局、私の場合は一念発起したことが次の仕事へとつながりましたが、とはいえその時期はそれなりに大変でした。友人たちからは、当時を振り返って「あの時は暗かった」なんて言われたりします。そこで、これからブランクの後に改めて復帰を考える場合、少しでもストレス少なく再スタートするにはどういうところに気をつけたらいいのか、を考えてみます。

なぜ復帰したいのかをしっかり考えておく

自分が本当に復帰したいのか、一体復帰して何がしたいのかをある程度考えておいた方が良いのではないかと思います。そうでないと、後で辛くなった時に自分を見失って挫折してしまいかねません。

ちゃんと復帰して収入が欲しい、でもいいと思うし、自分の本音に向き合えていればなんでもいいと思います。とにかく、なぜ復帰したいのか、自分なりの理由をはっきりさせておいた方が乗り越えられる確率が上がると思います。

ホームか、アウェイか

例えば、かつて初期研修や専門研修をしていた病院や母校で復帰することができる場合には、周りの人たちの多くは若い頃の自分を知っている人たちということになります。以前苦楽を共にした仲間や、時には学生時代のことまで含めて自分を知ってくれている気心の知れた人たちの中、つまりホームで働くことになるので、かなりやりやすさが増すのではないかと思います。

一方で、以前の自分を全く知らない人ばかりの、アウェイな環境で再研修を始めると、ブランクを乗り越えて新しいことをたくさん学ばなくてはならない時期に、同時に人間関係も一から構築し直さなくてはなりません。やむを得ない場合が多いとは思いますが、やはり余分な負荷がかかることは確かでしょう。

待遇はなるべく遠慮せず、相応のものを要求する

実は、私の場合、当初は年齢相応のポジションで雇用していただけると言うことになっていました。つまり、20台や30代前半の若者たちとは一線を画した、これまでの自分のキャリアもある程度反映させた立場でということになっていました。ところが、赴任の前日になり「年度の途中ではそのポストへの着任は不可能でしたので、若い人たちと同じ立場になりますのでご了承ください」という連絡が来たのです。これはかなりショックでしたが、もう前日になっていたし、断るという選択肢もあり得ませんでした。

しかし、もし最初から相応のポジションにしてもらえていれば、少なくとも他科のドクターや他部門のスタッフからぞんざいに扱われて不整脈が出るほどのことはなかったかもしれないな、とは思います。雇う側の方、気をつけてあげてください。小さなことと思われるかもしれませんが、本人にとってはかなり大きな問題です。

また、復帰する自身も、もし自分にそれなりの積み上げたものがあると思うのであれば、遠慮せずに相応のものを求めてみる必要はあると思います。要求しても必ずしも思い通りになるわけではありませんが、「雇っていただくのに図々しいのでは」などと遠慮すると、結果として続けるのが困難になりかねません。

同じような立場の人が複数いるか?

子育てのブランクの後に病院の常勤に本格復帰しようという女性医師は少数派だと思います。しかし、希望する人は必ずいるものです。もし可能であれば、前例がある職場、同じような立場の人が複数いる職場を選ぶ方が良いと思います。何しろ、周りの大多数の人たちと違う条件下で働くことになってしまうので、誰も理解・共感してくれない状態というのは、想像以上にきついものです。

たとえ具体的な解決にならなかったとしても、「そうそう」「わかるわかる」と言い合える仲間がいることは、メンタル上大きな救いになります。また、同じ職場に似たような境遇の人が何人もいた場合には、徐々に要求が通るようになっていくこともあるものです。職場というのは多数派の都合に合わせるようにできているからです。

辛い期間は限定的、意外と早く状況は変わる

私の場合も、ストレス対策で瞑想の練習などしていたのは一時期でした。常勤で臨床もちゃんとやっていると言える状態になったら、意外と早くに転職のオファーがあり、次の仕事につながりました。

他にも、子育て期間が過ぎてから、これまで手がけたことのない分野のことを専門の病院に習いに行っている同世代の女性医師の友人がいます。彼女も最初の1年ぐらいは辛そうでしたが、2年目に入る頃には後輩もできて居心地がよくなり、楽しさが増してきたようです。そして、やはり同じような立場の同僚がいたことが救いになっていたようでした。

大変なのはチャレンジしているから

どのような形で復帰したとしても、多かれ少なかれ大変なことはあると思います。でも、何もしなければストレスはないかもしれないけど、現状と何も変わりません。本当に大変な時期は意外と短く、乗り越えた時には一念発起する前の自分には考えられなかった世界が目の前に広がるものではないかと思います。

上記の全ての条件を満たす職場はなかなか見つからないかもしれませんが、これから頑張ろうかと思っている人、今頑張っている人の参考になれば嬉しいです。




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