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「あなたはそれをやりたいか?」――楽しく回るオランダのボランティアワークの不思議

「Wil jij dat doen?(あなたはそれをやりたいか?)」――学校で、職場で、地域社会で……オランダではしょっちゅうこの問いが投げかけられる。それは、日本だったら「やっていただけませんか?」というようなときにも発せらるので、私は慣れるまで「なんと図々しい問いかけだろう?やらないで済むなら、やりたくないに決まっている」と、かなり違和感を抱いていた。しかし、長年オランダに暮らすうちに、この問いはいろんな作業を楽しく主体的に行うための基本の問いなのだと気づかされた。

「不公平な」ボランティアワーク

例えば、子供達の学校のボランティアワーク。オランダの小学校は保護者の出番が多く、遠足の付き添い、キャンプの手伝い、クリスマスディナーの用意などなど、担任の先生からしょっちゅう「ボランティア募集」のお声がかかる。

初めのうち、私は何となく様子を見ていたのだが、そのうち「そろそろ私もやらないとまずいかな……。いつも他の人に任せっぱなしじゃ申し訳ないし……」と思うようになり、こうしたボランティアワークに参加するようになっていった。別に誰かに何か言われたわけではないのに、ちょっとした義務感や罪悪感やらを勝手に感じてしまったのだ。先生や周りの父兄に対して、「私は積極的に学校に協力していますよ!」というパフォーマンスもあったと思う。

何度かこうしたボランティアワークに参加するうちに、私はあることに気が付いた。いつも参加するメンバーが同じなのである。複数の子供を持つ人達などは、こうしたボランティアワークを何年にもわたってやってきたので、キャンプ場の調理場事情などもよく知っていて、てきぱきと子供達の食事を準備したり、食器を洗ったり、実によく働く。

一方で、こうしたボランティアワークに一度も参加しない人達もいる。彼らは子供を時間通りに預けると、自分はさっさと出かけていき、悪びれる様子は微塵もない。フルタイムで共働きだったり、赤ちゃんがいたりと、各人にいろいろな理由があるのだろうが、私は一度もボランティアワークをしない人達を見て、「ずるいな……私も忙しくてもボランティアをやっているのに。自分の時間を一度も提供しないなんて、フェアじゃないな……」と、ネガティブな気持ちを抱いていた。

やりたいからやる

しかし、私が感じたような「不公平感」は、周りのオランダ人達は全く感じていないようだった。みんな「喜んで」ボランティアワークに参加している。「できるから」やるし、「やりたいから」やっている。こういうと、すごくボランティア精神にあふれた立派な人が多いように思われるかもしれないが、そういうわけでもない。要は自分たちも楽しめるからやっているのだ。

1日子供達の遠足やキャンプに付き添ってみると、自分の子供が学校社会でどんな風にふるまっているのかが見えるし、普段はあまり接点のないクラスメートたちの名前を覚えられたり、一緒にボランティアワークをした保護者達とも知り合いになれたりして、その後の学校生活はもっと楽しくなる。ボランティアワークをする度にいつも集まるメンバーが仲良くなるのも、皆が繰り返し参加する理由の一つかもしれない。

もちろん、先生とも学校の勉強を離れたシチュエーションの中で、親しく話せる。しかし、ボランティアワークに参加しているからといって、特別に感謝されたり、先生の前で「点数を稼げる」というような効果はない。学校のボランティアワークはあくまでも「やりたい」ベースで行われている。

考えてみれば、人生の中で子供の遠足に付き合える機会なんて、実はそんなにあるものでもない。子供達が遊んでいる傍らで、大きな木の下でコーヒーを飲みながら、先生や他の父兄たちと和やかに過ごす時間は、実は稀に味わえる幸せな経験なのではないだろうか?自分が楽しいから何度やっても構わないし、それに参加できない人がいても全く構わない。「やりたいからやる」仕事には、義務感も不平等感も伴わないのである。

生活していく中では、当然やりたくないけれどもやらなきゃならないことはある。しかし、勝手な義務感や罪悪感、そして他人の目から自分を解放すれば、別にやらなくてもいいことも結構ある。「あなたはそれをやりたいか?」――自分の正直な声に従って、それをやるかやらないかを判断できれば、少し生きやすくなるのかもしれない。

やりたくない仕事はバリアを下げる

それでも「誰もやりたくない仕事」というのはある。私が子供達の小学校生活を通じて経験した中で、一度だけ誰も手を上げなかったボランティアワークがあった。それは、「教材の掃除」である。私の子供達が通うモンテッソーリ教育の小学校は、いろいろな面白い教材で溢れているのだが、計算などの練習で使う細かいブロックなどが多く、その掃除はかなり手間がかかる。

オランダの学校では、日本のように子供達が自分の教室を掃除する習慣はなく、外部の業者が放課後に教室やトイレを掃除している。しかし、こうした細かい教材までは掃除をしてくれないので、これは1年に1回、夏休み前に父兄がボランティアで手伝うのだ。

↑モンテッソーリの教材。細かいものも多い。

「誰かやりたい人いますか?」――という問いかけに、「イエス」と手を上げた人は誰もいなかった。あまりにも正直すぎる展開に、私は思わず「それじゃあ、私がやるしかない……」と、またまた勝手に義務感を感じて、午前中いっぱい教材の掃除に取り組んだ。兼ねてからモンテッソーリ教育の教材をゆっくり見てみたいと思っていたので、そのボランティアワークに対してさほど苦痛は感じなかったのだが、私1人しかやる人がいなかったので、余計に時間がかかったのは言うまでもない。これに懲りて、次の年にお声がかかった時には、私も手を挙げるのを躊躇した。

すると、このボランティアワークは再考され、皆がやりやすい方法が編み出された。それは、教材をいくつかの袋に分け、それを「やりたい人」が家に持って帰って、各自きれいにしてから、また学校にそれを戻すというものだった。これだと、家で空いている時間に取り組めるし、1人当たりの仕事が少なくなる。ここまで仕事が「分解」されると、やりたい人が続々出てきて、この仕事はあっという間に片付いた。

なるべく楽に、楽しく

先月、私は小学6年生(オランダでは8年生)の卒業ミュージカルをボランティアで手伝っていた。オランダの小学生は、卒業前の最後のプロジェクトとしてミュージカルに取り組み、卒業直前に近所のシアターで全校生徒と父兄に向けて発表するのが恒例となっている。このプロジェクトにもいろいろな形で父兄のボランティアが募られるのだが、私はこのうち「衣装」を手伝うことになった。衣装を担当する父兄は全部で8名だ。

ミュージカルの衣装と言えば、縫物をすることが求められるのだろうな……と構えていたのだが、これも皆で話し合った結果、驚くほど簡単なプロセスで進められた。まず、小学6年生(66人)全員の配役とその衣装を書いたリストが配られた。そして6年生全員に「自分の衣装をまず、〇月〇日までに用意して学校に持参してください。衣装はプラスチックバッグに入れて、それをハンガーにかけて持ってきます。自分で集められなかったものについてのみ、衣装担当の父兄が用意します」という旨のメールが送信された。

期日になると、私は自分の担当クラスで、皆の衣装をチェックした。ざっと7割方はそろっていたので、この時点であと3割の仕事となる。そこで、各クラスの衣装担当とスマホのアプリで連絡を取り合い、「私はこれを持っている」「近所でこれが借りられる」と、皆で写真やテキストを送り合って、アイテムをかき集めた。最終的にどうしても見つからなかったアイテムについては、全校生徒の父兄に向けて問い合わせのメールが送られた。こうして、ミュージカルの衣装はミュージカル一週間前に完全にそろった。縫物が必要となったのはわずか3着。これは洋裁をホビーとしている人が嬉々として作ってくれた。

ミュージカルは大成功。舞台が終わった後のパーティでは、衣装担当と抱き合って喜んだ。「やりたい」ベースでやる仕事も、責任は伴う。それを一緒に乗り越えた後の爽快感はまた、何にも代えがたいものがある。

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