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感動を取るか、楽を取るか?無理をする日本人と、頑張らないオランダ人

オランダで暮らすと、いろんな場面で「楽だな」と思うことが多い。仕事にしても、子供の学校イベントにしても、頑張りすぎない。完璧を目指さない。しかしその一方で、日本で味わっていたような、苦しみを乗り越えた後の楽しさや感動が少なく、どこか物足りない。これは突き詰めれば、「自分に軸を置くか、他人に軸を置くか」というスタンスの違いに行きつくような気がする。

大間違いのパンフレット

「ブラバントは最
高のパートナー」

お客様に配るパンフレットを目にした時、私の目は点になってしまった。オランダ南部のブラバント州が東京で同州を宣伝するイベントを開催した際のパンフレットである。「ブラバントは最高のパートナー」という、肝心の題名のところで、「最」と「高」の間に改行が入ってしまっていたのだ。パンフレットの内容やデザイン、紙質などは良質だったが、この1点がその他すべての努力を台無しにしていた。

私はパンフレット担当ではなかったのだが、同州の日本人アドバイザーとして大いに責任を感じた。イベントは「成功だった」と言えるにも関わらず、この1点の失敗で、私はかなりクヨクヨした。どうしてパンフレットを印刷する前に、私に最終チェックをさせてくれなかったのだろう……。オランダ人に「変なところに改行が入ってしまって、すごく残念だ。残念すぎる!」と伝えたところ、「それは残念……」と肩をすくめていたが、彼らにとっては大した問題でなかったことは言うまでもない。

日本語のパンフレットを日本人に担当させなかったことがそもそもの間違いだったと思うが、それ以前にまず、準備の時間が足りな過ぎた。かなり直前になってバタバタとパンフレットを用意し始めたため、最後のチェックが十分になされなかったのだ。あの改行も私が気付いて、最後の最後にデザイナーに電話で伝えていたのだが、その後タイミングが悪いことに週末に突入してしまったために、デザイナーは最終チェックなしに印刷屋に回し、さっさと家に帰ってしまった。日本だったら、週末でも夜でも最後の詰めを優先するところだろうが、こちらは週末を犠牲にする人はほとんどいない

アヤックスにも見た「詰めの甘さ」

先月はアムステルダムを拠点とする強豪サッカーチームの「Ajax(アヤックス)」が、23年ぶりの欧州チャンピオンズリーグ決勝進出をかけて、英トッテナムと戦った。チャンピオンズリーグといえば、レアル・マドリードやバルセロナなどスペインの強豪や、イタリア、イングランドなどの名門チームが優勝してきたリーグだが、今回はオランダチームの優勝もあり得るということで、普段はアヤックスを毛嫌いしている人達もこの時ばかりはアヤックスを応援し、オランダ全土で盛り上がっていた。

前半戦ではアヤックスが2点リード。彼らの完璧なプレーに、観客席は早くも勝利ムードに湧いている。しかし、後半戦に入ると、トッテナムが反撃を強め、あれよあれよと同点に追いつかれる。それでも最後まで同点を守れば、トータルスコアで決勝に進出できる状態だった。試合は終盤までかなり緊迫していたが、追加のアディショナルタイムになると、アヤックスの観客席はもう皆で肩を組んで歌を歌っている。決勝進出まであと一歩!しかし、最後の最後、試合95分のところでトッテナムがゴーーーーール!!あまりの悲劇に、アヤックスのファンでない私もしばしテレビの前でボーゼンとしてしまった。

精一杯戦った選手たちには拍手を送りたい。しかし……しかし、最後の最後に残念過ぎた!最後まで全員が死ぬ気で同点を守ろうとしていただろうか……?何となく、ここでもオランダの「最後の詰めと頑張り」の甘さを感じてしまうのは、私だけだろうか……?サッカーではこうした最後の逆転劇が時々見られるものだが、アヤックスはこの試合に十分に勝てたと思えるだけに、無念さが募る。

頑張らない学芸会

子供たちの学校イベントでも、頑張りすぎないオランダ人の側面を見る。

年に何度かある、クラスの演劇発表会。私の子供達が通う小学校では、学校の屋根裏に設置された、小さな舞台がいつも会場となる。期待でワクワクしながら、席に座って待つパパママ。私もスマホを構えて、前の方に陣取った。

手作りのカーテン幕が左右に開き、始まり始まり~……と、劇は始まったようだが、話し声が小さくてセリフがよく聞こえない。しっかり者の女の子を主役に立てたものの、セリフを忘れて沈黙。先生が絵本を片手にセリフを教えて、何とか劇は前に進む。脇役の男の子は客席にパパママを見つけて手を振っている。最初から最後までボーッと舞台袖に立っている鼻タレもいる。最後は、皆が舞台で踊ってバタバタ、ゴチャゴチャ……あれ?これで終わり?

客席は拍手の嵐。カーテンコールで舞台に出てきた子供達に向かって、みんなが親指を立てている。もちろん、私も我が子に「グー!」のサイン。しかし内心は、「もうちょっと練習してから発表した方が良かったのでは……」と、辛い評価を下していたのだった。 

手抜きだらけのパーティ

こちらの学校は9月始まりなので、夏休み前の6月には学校のクラスや地元サッカークラブなどの仲間が集まって、学年末の持ち寄りパーティが開かれることも多い。そんな時、日本人の私は大抵、巻き寿司を作って持っていく。手間がかかるが、皆が喜んでくれるので、少々無理をしても頑張って作っていく。

一方、周りのオランダ人が持ってくるものは、いたってシンプル。ちょっと手間のかかるものでは、パイ生地にソーセージを挟んでオーブンで焼いた「ソーセージパン」や、いくつかの果物を串に刺したもの、キュウリを星の形に型抜きしてきたものなどがあるが、中には、フランスパンをちぎってボールに入れただけのものや、細いニンジンを洗ってきただけ…というのもある(これは、ウサギみたいに生でポリポリ食べる)。「こんなに簡単でインカ帝国!」と叫びたくなるほどだが、大事なのは気軽に楽しく集まること。無理をして料理でヘトヘトになるのは、オランダ流じゃない。

楽しいけどしんどい日本人のイベント

こんな風に頑張りすぎないオランダ社会にあっては、何をするにも日本にいる時より気楽な感じがする。無理をせず自分のできる範囲内でやればいいし、少々失敗したって構わない。しかし一方で、練習や準備を重ねて完璧に何かを成し遂げた後の、清々しい感動が欠けているのは否めない。それは、私が完璧を求めがちな日本人だからかもしれない(オランダ人は十分に感動しているのかもしれない)。

我が子が数年間通っていた日本語補習校では、この感動を久々に味わった。同補習校は土曜日の9:00~15:00だけ開校される学校で、駐在員やハーフの子供達などが、日本のカリキュラムに沿った国語と算数の授業を受けている。年に何度か、運動会や国語発表会などのイベントが開かれるのだが、週1回の中、短時間しか準備の時間がないにも関わらず、これらイベントの完成度の高さにはいつも驚かされた。学芸会の寸劇など、本当に「よくぞここまで……」と、涙が出そうになるぐらい感動するのだ。

日本人の主婦たちが集まって開く持ち寄りパーティも感動的だ。腕によりをかけて作ってきた素晴らしい料理がテーブルを埋め尽くす。その食の美しさ、楽しさといったら……!これは、生ニンジンやフランスパンだけでは絶対に味わえない、豊かな至福のひとときなのだ。

しかし、これらの感動の裏には、補習校の先生方の努力やプレッシャーがあるし、日本人主婦の準備や見栄がある。頑張らないと生まれない感動だが、頑張りすぎるとしんどいし、「もうやりたくない……」という心境にもなる。

他人軸か、自分軸か

オランダ人と日本人のスタンスの違いはどこから来るのだろうか?私はこれが「他人に軸をおくか、自分に軸をおくか」という考え方の違いから生まれるのではないかと思っている。日本人の場合、自分が少々大変でも、お客様を手厚くもてなしたり、感動を与えたりすることに主眼が置かれる。一方、オランダ人の場合、少々結果のクオリティが下がろうとも、自分達が辛くならず、なるべく楽な方法が優先される。簡単だから、何をやるのも大きく構えずに、気楽にやってみようという空気も生まれる。

どちらも一長一短で、どちらが良いのかは分からない。しかし、私はいつもこう思う――日本とオランダを足して2で割ればちょうどいいのに!

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