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赴任した高等学校には(もちろん)プロジェクターもなかった

ということで、公立高等学校の教諭としての日々が始まりました。
"クソ"(汚い言葉ですみません)がつくほど忙しい学校現場。

人が足りていないのは明らか。
もはや何に忙しいのか意味がわからない状態。

1年常勤講師として働いていたものの、全日制普通科となると勝手は違います。自分の中でいろんなことをアップデートしなくてはいけませんでした。
そこそこの進学校ということで、さぞかし素晴らしい授業をする人がたくさんいるんだろう!と期待に胸を躍らせていました。

赴任した学校には当たり前のようにプロジェクターもなく。WiFiもありませんでした。(日本の学校ではこれがそこそこ普通です)
色々考えた結果、私は毎回授業でプロジェクターを運び込むことにしました。考え方は人それぞれだと思うのですが、板書をしている時間が無駄だとしか考えられず、後に残るデータ(スライド)がなければ、色々振り返ることも難しいと感じたからです。
また、"授業はスライドでやる"というのが当たり前になる時代を想像して、自分はそういった授業を展開する教師でいたいと思いました。

ただ、文法の授業に関しては、考査範囲がそこそこ多いこともあって、プレゼン形式にして問題を投影すると、コピペであっても時間がかかるのと、膨大なスライドの枚数になってしまうため、教科書をもっと、もーっと噛み砕いたイラスト付きの手書きハンドアウトを作ることにしました。

時に学校が選定した教科書は「何でこの順番で学ぶようにするかなぁ...」という部分も出てきます。例文がまったく普段使いするような内容じゃなかったり(こんな表現いつ誰に向かって使うねん!というような例文)、例文の中に新出単語があったりして、教えにくいことも多々あります。

よって、私は自分の手書きハンドアウトを作り、それを説明しながら生徒と文法を理解していくようにしたのでした。
このハンドアウトは生徒にはかなり好評で、「とにかく例文が分かりやすいし、文法の説明もスッと入ってくる!!」と、自分が担当していないクラスの生徒たちまでもがハンドアウトを取りに来る事態へと発展していまいました...(学校現場ではあまり好まれない状況)

しかし、もちろんハンドアウトだけ受け取ってもよくわからない訳です。
私が関西人炸裂のコントのような状況説明をしてやっと「あぁ〜そういう状況でこれ使うのね」というのが分かってくるので、ハンドアウトをもらった生徒たちも最終的に「これ、どういうこと?」という感じになるのでした...

自分が留学時代、アメリカで販売されているノートに感銘を受けたのがあり、私のハンドアウトの両端には"メモスペース"が用意されていました。「自分でメモが取れる学習者になろう!」
高校1年生であっても、大学に進学した時の"学習方法"のようなものをこの時から練習して欲しいと思っていたのでした。

こうして、プロジェクターを担いで行く授業と、ハンドアウトと板書の組み合わせで挑む授業の2パターンを用意し、もちろん教材研究には就業時間のほとんどを費やしました。それくらいしないと自分の納得のいく授業が作れませんでした。

幸い、初任者ということもあって担任もなく、教科指導に集中できる状況がありました。しかし、心のどこかで「でも2年目になったら他の仕事が増えてきてこれが出来なくなるってこと...?質の良い授業作り無理やん!」と、薄々気付き始めていたのでした...

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