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day83 感動する、ということ。

今日の帰り道、久しぶりにサンピラーを見ることができた。

サンピラー、すなわち太陽柱は、めったに見ることができない現象。
車の運転中、サイドミラーでそれに気づき、慌てて近くのドラッグストアに車を停めて写真に収めた。
あぁ、神様がわたしにメッセージを送ってくれているのだ、とありがたく受け取った。


ハロやアークなどのレア現象、雨上がりの虹、美しい夕焼け、不思議な雲など、とにかくわたしは空ばかり見ていて、その姿にいつも感動している。
なんなら夕焼けなんて、放っておいたら日が沈んで真っ暗になるまで見続けられる。連続的に姿を変えていく空の様は、1秒たりとも目を逸らせないのだ。


相方さんは、感動しない人だ。
同じ景色を見たとして、こちらが涙目になっていたとしても『いい景色だねぇ』で終了である。

感動について聞いても、これまで心が震えるほどの感動をしたことないなぁ、と言う。


じゃあ、感動ってなんだろうか。
読んで字の如く、感じて動く、心の機微だ。

① 強い感銘を受けて深く心を動かすこと。
② 人の心を動かしてある感情を催させること。
③ 他からの刺激に反応すること。作用を受けて動くこと。また、動かすこと。


感動とは、刺激に反応すること。
心を揺さぶられる刺激があって、初めて感動できるということだ。


感動できない人って、もしかしたら刺激に反応しないように生きているのかもしれない。
嫌なことを避けて生きると、同じくらいに楽しいことや刺激的なことを避けて生きることになるだろう。
そして同じように、嫌なことに反応しないようにすることで、楽しいことにも反応できなくなる、という仕組みだ。


そもそも人生そのものを当たり前と思って生きていると、空が綺麗でも別段感動することはないのかもしれない。

でもなんというか、今この世界に生きていること自体がもはや奇跡!みたいな気持ちで過ごしていると、些細なことで感動できるような気がするのだ。


相方さんに関しては、感情を言語化できないという部分も持ち合わせているため、感動していたとて、それを感動と呼べるのかが解らない、という可能性もある。

まぁ、感じ方は人それぞれなのだけれど。
どちらかというと、左利きでHSPなわたしが必要以上に感動しすぎなのかもしれない。

でも小さなことにも逐一感動しながら生きている方が圧倒的にしあわせだよなぁと思っている。


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