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day120 明日、春が来たら、の、なおみん的な解釈。

春分前、今日は星の世界では大晦日だ。
星読みする人の端くれとして春分読みでもしようかとも思ったのだけど、春分図を眺めて、んーってなって、やめた。笑
今はどうやら真剣に星を読む気力がないようである。自分で思っていたより、マルチタスクではないようだ。むしろシングルタスクすら危うい。

さて今日は、どうでもいい話。
この季節になると流れてくる音楽のこと。

松たか子さんの『明日、春が来たら』
この歌、いっけん前向きで爽やかで軽やかで、希望に満ち溢れるような印象があるのだけれど。
わたしが感じた、この歌の意味がある。
もちろん確かめた訳でもないから知らんけど。

なんか、大切な人を亡くした歌のように感じているのだ。

[永遠の前の日]という歌詞に、何か引っかかる。この永遠が指すものは、命の終わり、永遠に会えなくなること、のように思えるのだ。

そして[明日、春が来たら]の春が指すのは、春分の日。すなわち春彼岸。春が来て君に会いに行く場所、それってお墓参りなのでは、と。
明日、という区切りで春が来るなんて、立春か春分くらいだろうし。会いに行く春なら、春彼岸だろう。

[夕立が晴れて時が止まる場所]、これは恐らく、夕立は比喩で、主人公の慟哭を指すと思っている。泣いて泣いて、泣き疲れて、自分の時間が止まってしまうような。

楽しくはしゃぎ合った夏のキラキラした思い出、あの時言えなかった思いを抱えたまま、突然に永遠の別れを経験した主人公

というのが、この歌のわたし的な解釈だ。
正解は知らんけど。

そんな訳で、今日カーラジオでこの歌を聴いて、そのことを思い出したのであった。
聴くたびに、ちょっと切なくて、大切な人に、伝えたいことはちゃんと伝えとこうと思わされる歌だ。

そして明日は春分の日。
真東から昇る生まれたての太陽、牡羊座のピュアなエネルギーを浴びよう。

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