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day353 残り13日、自分として生きる、とは何ぞや。

今日は皆既月蝕。自宅周辺が曇ってしまい見えないため、夕食後に車を走らせて見える所まで移動してきた。

ギリギリ皆既月蝕の赤銅色の月を眺めて、今はまた復活の月を車の窓から見ながらこれを書いている。

皆既月蝕(動画からのスクショ)

今日は朝から神社巡りをしようと決めていた。朝起きて、ふと西の空を見たら虹。

のどかな田舎の光景に虹。

これは幸先が良い。と、まずは岩手山神社に行くことに。
すると、出発と同時に本降りの雨。それでも行くのか?と自問自答しつつ、いーく!と返事して向かった。

お詣りを終えて車に戻ろうとしたとき。雨が弱まり、一筋の光が差し込んだ。そして神社の本殿を照らしたのだった。

こないだ観た「天気の子」と同じやん。
見事にここだけ照らされたよね。

そして神社を出ると、また虹。

龍神さんとお話ししたとき、覚悟は決まったのか?と尋ねられた。自分が自分であること、自分として生きること、そんなことを答えたのだけれど、龍神さんからは『ちゃんと言葉にしなさい』と言われたのだった。

そんなわけで、今日のnoteは龍神さんとの宿題だ。

僕が僕であるために。

わたしがわたしであるため、どうすればいいのか。嘘偽りなく生きようと思うけれど、そもそも自分に嘘をついて偽って生きてきたのが長ければ、嘘さえも見抜けない。

今日の月蝕やたくさん見た虹のこと。これらを元相方さんに伝えたいなぁとよぎった。

わたしの気持ちのやり取りはこんなだ。
LINE送りたい、でも連絡取り合うのは最低限にしたい、また連絡取っちゃうと引き摺られそう、みたいな感じだ。

さて、どれが嘘だろうか。こうして文章化してしまえば、でも、以降が嘘になる。嘘というか、エゴだ。

わたしも元相方さんも、天文宇宙検定受けに行くほどには、星空が好きだ。
今日みたいな天体ショーは、絶対外せない。

恋愛云々の問題ではなく、ただ純粋に連絡したいと思ったのだ。それを余計なアレコレで掻き消そうとした。

衝動のままに動きたいのだ

家から月蝕が見えないなら、綺麗に見える場所まで動けばいい。
以前にも、家から見えないことがあってガッカリしたことがあった。
今回はその気持ちもあって、ご飯を急いで食べて、車を飛ばしてきた。その途中、元相方さんに月蝕が見えるか確認してもらって。
(一緒には観ていない)

こうやって、諦めないで衝動で動くってことが、わたしにとっての『自分として生きる』ということなのかもしれない。
本来は向こう見ずな性格なのだろう。思い返せば二十歳頃は確かにそんな生き方だった。

自分の中に湧き上がる衝動を、隠さない、抑え込まない、疑わない。非核三原則みたいだけれど、これがわたしの衝動三原則だ。

もっとパッションで生きる。
こんなことやってもな、とか、お金にならないとか、これってわたしがやるやつ?とか、色々出てくることがあるだろう。
時には、恥ずかしさが上回ることもある気もする。
それでも、何より湧き上がる衝動を最優先に生きてみたいのだ。

生きよう

日高神社の近くから見えたダブルレインボー
ちょっとレアな過剰虹。

天照大神を祀る陸中一宮の駒形神社と、アメノミナカヌシさまを祀る日高神社にも行ってきた。
その帰り、日高神社の横のセブンに立ち寄ったら、過剰虹に遭遇した。

帰宅中も何度も、虹が現れた。

そのとき、素直に感じたのは、ただ素直に生きようということ。生きるということに喜びを感じていこうと思ったのだ。

パッションだけで、向こう見ずで、生きることに素直。それって物凄くアホな感じだけど、それがわたしの望む生き方なのだとしたら、ちゃんと叶えてあげなくちゃ。

そんなわけで、パッションなおみんとして、47歳を迎えようと思う。

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