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day97 自分のことは、案外いちばん分からないものだ。

今日は午後から打ち合わせ。午前中は比較的余裕があったので、急遽お友だちに連絡してお気に入りのカレー屋さんでランチを。

久々に直接会って話をする。よくよく考えると2人でランチは初めてな気もする。
最近のこと、仕事のこと、家庭のことなどを話しながら、かなり抱え込んでるなぁと感じた。
でも本人はそれを『理不尽だけど、やって当たり前』と無意識的に思っている。
あーきっとわたしも、どこかで無意識的に理不尽やらかしてんだろな、と思うが無自覚故に分からないのである。

午後からの打ち合わせは、クライアントさんをお繋ぎすることが目的だった。
この方の今の願いが叶うように、お手伝いさせていただけたらと思う。しかしながらやはり、自分のことは自分では分からないもので、ともするとひとりですべて抱え込みがちなところを、仲間を巻き込むことで解消できることをお伝えさせていただいた。

今日は打ち合わせ三昧で、夕方からはzoomでオンラインミーティング。こちらもクライアントさんの支援が目的なのだが、やはり自分のことはよく分からない、と思える場面がある。

人は他人と分離しているからこそ、自分以外の人が観測してくれることで、その存在を認識できている。
言葉の意味そのものは調べていないから分からないけれど、ただ存在するだけなら『人』だけれど、人と人が分離して違いを観測し合う、その空間を含めたものが『人間』なのではないかな、と思っている。

自分のことは、自分だけでは知り得ない。そのために分離して、観測し合って、互いの違いを知った上で、自分の持つ要素を知っていく。
人を知るためには人間である必要があるのだ。

他人を観測するチカラは鋭いが、いかんせん自分を観測してもらう機会が少ない(観測されてはいるだろうけれど、言語化されていない感)ので、もっとわたし自身を知るためにも、積極的に他人と関わり合おうと思う。

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