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答えが分かるのは、きっとずっと先のこと。

突然、謎の質問。

今日、パソコンにむかう私の横でころころしてた次女に突然
「ママがゆんに言われて1番嬉しかった言葉と、るいに言われて1番嬉しかった言葉は?」
と聞かれまして。

「ゆんは、『ママが親じゃなかったら生きてなかった』っていう言葉。」るいは、『ママがお母さんでよかった』っていう言葉かなぁ。」

って即答しましたね。

「母親がもらう、最高の言葉もらったと思うわぁ。」って言ったら、
「そうなん?」と不思議な顔。
結局、質問の意図は聞いてないから分かんないけど。そんなひとときでした。


何が正解とか、分からないままやってきた。

長女が生まれて母親になってから、この夏で16年。
ずーーーっと探り探り試行錯誤の連続です。
その時その瞬間、とにかく良かれと思うようにしていたにすぎなくて。
きっと、子どもとの関わりの何が正解かなんて
分からないまま死ぬんだろうと思ってます。

21歳で若くて未熟なまま親になって
次女を出産した後の20代後半は、自律神経失調症やら鬱やらでほとんど覚えてないという。
弱った姿を人に見せられないwomanなので、とにかく外面は何とか保とうとしてたんでしょうねぇ。。
ブログやなんかで記録を残しておいたあの時のワタシ、ほんまにgood job。

私の記録はそのほとんどが、ムスメたちの成長を残してきたもの。
鬱が酷くなっていくにつれて、ムスメたちへ手紙を残すような思いで綴ることを決めたのを覚えています。
いつうっかり死んでしまうか分からんかったから。

毎日どんなことがあって、どんなことを思っていたか。
毎日毎日、どんだけ2人のことをかわいく愛おしく思ってたか。
ムスメたちの中に生きる力を残したかった。母親の愛を、いなくなった後にも届くように残したかったんですよねぇ。。

一方でやっぱり死なずに生きてこられたのは、
私のお葬式で泣き喚くムスメたちのイメージ。これに尽きる。
幼い2人の泣き顔や声や混乱、胸の痛みみたいなものも全てリアルに想像できてしまう。
豊かな想像力と感受性に助けられました。
ムスメたちに絶対そんな絶望を感じさせたくない一心で、生き方を変え続けてここまで生きてこれたから。
2人がいてくれたから、私は今ここにいられる。

愛の大きさも深さも完敗よ。

親子関係においては
『目に入れても痛くない』とか『母の愛は偉大』とか、親から子への愛の大きさみたいなものが多く語られるように感じます。無償の愛ってやつね。
2人の子を産んだ私ももちろん
この子たちのためなら何だって頑張れるって感じてきたし、愛おしくってしょうがない。
間違いなくこの子たちを世界一愛してるのは私って言いたい気持ち。

でも同時に親になってもう1つ痛感したのは、
親は純粋な愛情をついつい見失いがちじゃないか?ってことでした。
我が子のことを思ってとか、愛を振りかざして自分の正しさに当てはめようとしてしまうところがある。私もそうです。今でも油断するとついやっちゃう。

それに対してムスメたちは?
生まれた時からこんな私に全幅の信頼を寄せてくれて、心も体も丸ごと預けてくれてる。
いろんなこと全部引き受けてしまって余裕がなくなることも多い私は、結構すっとこどっこいな母親なのですが。
かっこ悪くて自由気ままでドライだったり心配しぃだったりな私を
それでも丸ごと愛してくれてる(に違いない。。きっと)。

大人たちみたいに、愛を振りかざしてコントロールしようとしない。
嫌なモンは嫌って言う。それだけ。泣いて教えてくれたりね。
これも、まっすぐ愛してくれてるってことじゃない?
好き勝手言える、泣けるって、最高の信頼のサインだ。

ムスメたちが私にくれる愛の大きさに比べたら、
自分の思いの身勝手さに恥ずかしくなることもあるくらいです。
全然、全く、敵わない。16年間、13年間、ずっと負けっぱなし。

8年前に私が結婚生活をギブアップして、父親と引き離すことになって。
号泣されたし「お父さんがいる家族を見たら羨ましいって思うこともよくあった」って数年前に言われたこともあります。寂しかったり不自由な思いもたくさんさせたと思う。
それでも冒頭の言葉を2人がくれたの。めっちゃすごくない?
どんだけ心が広いねんって話ですよ。
母親として我が子にもらう、これ以上のギフトはないよね。

育くみ合いの日々は続く。でもゴールも見えてきた。

いつの間にやら高校生&中学生。
精神的な巣立ちは徐々に始まってるし、それぞれの夢を叶えて自立するときもきっともうすぐなんでしょう。
(姉さんは怖がりなので1人暮らしは絶対イヤ派ですがまぁ経済的に自立するとかね。)
気をつけてはいるけどムスメの気持ちを蔑ろにすることも起こるし、この先も何かやらかすかも知れない。

子どもと向き合うとき、絶対正解なんて思えたことは1回もない。
長くなるので別で綴りますが、去年もっと次女のしんどさを何とかしてやれたんじゃないかって
思い返すことも最近よくあるのです。
自分もいっぱいいっぱいな中で、何回も話をしてベストを尽くしたとは思うけど。本当に他にやり方はなかったんか?っていう。。後悔してるのか?

我が子との関わりが正解だったか間違ってたか、
それは我が子が自分の手から離れた時に分かるのかな?
今の私に出来るのは、とにかく我が子の幸せを祈ること。支えになる努力。
後はまず自分がしなやかに幸せに、人生を楽しむ姿を見せることだと思ってます。
ホッと緩んで、好きなように笑ったり泣いたり怒ったり出来るHOMEを作る。私がHOMEになること。
答え合わせは、きっとずっと先のことですね。


・・・とはいえ、実は1個だけ正解やなーって思ってることはありました。

『朝起きるのは自分の責任』

っていう我が家の数少ないルールの1つ。
小学生になって時計と時間が理解できるようになった頃から、ハハはわざわざ間に合うように起こしたりしたことないのです。
『間に合うように計算して自分で起きなはれ。』スタイルが定着している彼女たち。
それは、起きれるように考えて寝るっていうことも含めて任せるので
私は前日に「何時に起きて何時に出発?ママは何を用意したらいい?」と聞くだけ。
あと「じゃあ何時に寝る?」ってとこまで聞くこともありますね。
このスタイルの何が正解って思うかっていうとそれはもう!!

『ママなんで起こしてくれへんかったん(# ゚Д゚)』
って言われたことが1回もない

ってことなんですよ。これ、結構すごくない?

わりと定番じゃないですか。起こしてくれなかったって逆ギレされるやつ。知らんがな案件。
これが我が家では1回も発生したことがないんです。
彼女たちにとってはハハは起こさないのがアタリマエなため、
起きられなかったこと起こしてくれなかったことは決してイコールにならないんですね。
すっごいストレスフリー♡

というわけで、我が家のお勧めスタイルをしつつ。
残りわずかなムスメとの育くみ合いの時間を大切に楽しもうと思ってます。
自由に羽ばたいてくその日まで。


まっすぐな愛で、向き合えましたか?


〜fin〜

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