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DJ WADAヒストリー 復活編②

さて。こんばんは、

あのー、いきなり
どうでもいいことなんですけど、
「親バカ」って言葉ね、
親が子を可愛すぎて可愛すぎて
必要以上に贔屓目に見ちゃう
って意味だと思うんですが
これって、アタマにある単語「親」が
そのまま言葉の対象となる
その人を指して
その「親」の興味の対象は「子」でしょ?

で、なのに「音楽バカ」とか
「釣りバカ」とかになると
アタマにくる単語が指すのは当人じゃなくて
その興味の対象になったりすんの、
なんでかなー。

正しくは「音楽好きバカ」とかで
略して「音楽バカ」なのかな。

まぁ、いいや。
今、ふと思っただけなので。

そんなこんなで相変わらず
こんな生産性のないことばっか
考えてるのですが
たまには生産性のあることを、ってことで
(いや、これもないだろう)
ウチの音楽バカのお話の続きを。

2003年3月8日。

44歳のお誕生日の10日前に
彼は、ホームグラウンドである
『maniac love』の土曜日“CYCLE”で
DJとしての本格復帰を果たします。

“本格復帰”とはいうものの
その数週間前からクレジットなしで
早い時間にテストプレイをしていたので
彼の中には
感慨深いとかそういう感情は
特になかったそうですが、
片耳を失った自分が
その夜の最高潮を作らなければならない
メインタイムを演れるのか?
という不安はあったようです。

私もこの日、
いち客として現場に居たのですが
「復帰」の二文字だけで心が踊っていたのと
“CYCLE”におけるDJ WADAの存在感を
ひしひしと実感して嬉しかったのを
うっすらと覚えているくらいで
肝心のプレイがどうだったとか
フロアの雰囲気とかは殆ど思い出せず。。。

まぁ、思い出せないということは
自信のなさを客に気取られないくらいには
恙無く復帰プレイを
こなせたのかと思いますが。
(耳の肥えた&敏感なお客さんには
 わかったかもだけど)

そんな自信のない状態で
どうにか復帰を果たしたWADAですが、
最初は“CYCLE”隔週でのプレイから
そのうち“CYCLE”以外の仕事も
受けるようになり、少しずつ、
彼の元いた場所へ戻ってゆきます。

しかし、彼の体が元どおりではないように
状況を含め様々なことも
全く元どおりというわけにはいきません。

まず、何が違うかというと、
お休み中にキャンセルしていた
海外での仕事が
以降、来なくなったこと。

これは彼が療養中はもちろん
療養後、復帰してもしばらくは
三半規管の不調から
長時間のフライトに
耐える自信がなかったので
長い間オファーを断り続けるうちに
海外とのパイプや
海外における彼の需要が
薄れてしまったため。

そして、もう一つの大きな違いは
彼のプレイスタイル。

これを感じた人は多かったかと思います。
今でもこれは賛否両論で、
それにより、人それぞれ
表現の違いがあるかと思いますが
なるべくフラットな言い方をすれば
休業する前に比べ、
音数が減ってBPMが遅くなった。
そして抑揚控えめの
理性的なプレイになった
というところでしょうか。

プレイスタイルが変わった理由としては
激しい音が苦手になってしまった
彼の耳の影響が大きかったのですが
(ちなみに、今はもう全然大丈夫です。)
実はその兆候は
突発性難聴の発症前から少しあり
どちらかというとその要因は
彼の志向にあり、病気はそれを
後押ししたものではないかと思われます。

当時はハード・テクノ、
ハード・ミニマル全盛期、
というか、そろそろ
円熟期だったのではないかと
私的には思いますが
そんな中でじわじわと
頭角を現してきたのが
ハード路線とは対極をなすような
音数も少なく、BPMも緩めな
クリック・ハウスやミニマル・ハウス。

その時の世の中の動きに合わせる
選曲をするのが当たり前のディスコで
キャリアの土台を培ったWADAが
この新しいジャンルの曲たちを
プレイリストに組み込むのは
自然な流れでした。

しかし、当時の彼に求められる役割は
“ディスコDJ”ではなく
“アーティスト”としてのDJ WADA。
彼を目当てに足を運ぶお客さんの大半は
これまでのハードなプレイ
及びイメージを求め
もちろん、周囲もその期待に
応えることを求めます。

そんな中で今までとは違うプレイをすれば
お客さんは戸惑う、
もしくはそこまでとはいかないまでも
期待したものが得られないわけですから
消化不良と感じられることは
否めないでしょう。

当然ながら、
戸惑ったり消化不良を感じた人たちからは
「つまんなくなった」とか
「あいつは終わった」とか
散々な評価を受けました。

けれど、
人の好みが十人十色、千差万別なように
「好き」も人それぞれ、カタチも違う、
つまり、人によって
彼の音楽のどこが好きかも違うわけで
これまでのハードなプレイで場を盛り上げる
DJ WADAが好きだった人は
もちろん、彼から
自然と離れていくわけですが
もっと別なところ、
彼のMIXセンスやそれが生み出す
世界観が好きだという人たちには
「新しい世界を見せてくれる」と
彼の新しいプレイスタイルは
そのまま受け入れられ
また、逆にプレイスタイルが変わったことで
これまでとは違ったお客さんや支持者を得、
表面的にはさほど変わらないように
見えたかもしれませんが
彼の周囲の人間の顔ぶれも少し変わり、
この頃から加速した
ジャンルの細分化も手伝って
彼の活躍する場は
よりアンダーグラウンドな方向へと
進んでいきます。

これもまた人によっては
彼が道を誤ったかのように
思うかもしれませんが
私個人的には、
良い転換期だったのかもしれないと
思っています。

あ、私のことなんてどうでもいいですよね?
でも、そもそも自分の意見が言いたくて
このnoteを始めたのでお許しを(笑)

この頃くらいから私は彼と友人として、
また、尊敬するクリエイターの先輩として
親しくしていたのですが
(私は全然クリエイターなんて言うのも
 痴がましいくらい
 ダメダメなデザイナーなんですが)
先の消化不良を感じた客か?
世界観に惹かれていた客か?といえば
言うまでもなく、私は後者でした。

この頃の彼は
自分の耳の不調をきっかけに
アーティストとしての
次のフェーズに進もうとし、
いつも“新しい音”を探している感じでした。

その姿勢には共感できたし、
刺激も受けました。
正直に言うと、倒れる直前の彼のプレイは
私にはちょっとハードすぎて
これをやるのはDJ WADAじゃなくても。。
もう少し前のDJ WADAの方が良かったのに
ちょっとWADAさん
ハード路線の流行りに乗って
つまんない方向に流れてるなー。
って思っていました(笑)

まぁ、今だからこそ思うのですが
ハードなプレイもそれはそれで
エモーショナルで良いのだけど、
それはWADA本人の
パーソナリティとは全然違うし、
もっとそれが得意なDJはいるだろうし、
彼の技術力含め、彼自身を
あまり生かしきれないプレイだったのかと。

彼の持ち味だと私が思っているのは
その技術力から生み出される音の立体感と
その曲をどう聴かせ、
どう繋ぐかというMIXセンス。
ダンスミュージックで重要事項とされがちな
グルーヴ感については彼のプレイに関しては
私は副産物程度にしか思っていません。
(ちなみにグルーヴという言葉が曖昧すぎて
 その解釈は人によって少しずつ違うので
 ちょっと誤解があるかもしれません。
 その辺りでWADAと
 言い合いになりました。笑
 それを場の空気を捉えるとか
 客を踊らせるということを指すのであれば
 それは個性云々とは別の、
 最低限の部分でもあるとかないとか
 んー、、素人の私が扱うには
 色々難しすぎるし
 残念ながら私も感覚的な解釈で
 WADAとも散々もめたけど
 ちゃんと説明するに
 足る表現力を持たないので
 すみません、
 無責任を承知で割愛します、、、)

その彼の良さをより体感するに適した
BPMと音数というものがあって、
あまりにハードだと
その良さは味わう間も無く、
感情に溶けて流されてしまう。
と私は感じていて、

実は彼も私も夫婦揃って天邪鬼なので(笑)
あまりに話題になったことには
あえて言及を避ける傾向があるので
ちょっと触れるのに
気恥ずかしさがあるのですが…
彼の個性が分かりやすかった例として、
近いところでいうと
少し前に話題になった
DOMMUNEでのあの“縛り”プレイ。
(あ、一部分だけ見ると怪しいな。。)

あれ、特定のアーティストを
フィーチャーした企画でしたが
素材が統一される分、
すっごくわかりやすく
出演DJそれぞれの個性が出ていたかと。

WADAに関しても然り。
いつものように繊細で、
EQいじりまくりの
見た目には落ち着きのない(笑)
混ぜ混ぜの彼らしいMIXだったにもかかわらず
その曲の輪郭とか、
一番の旨味(歌詞含め)みたいなものが
ちゃんと生かされた
プレイだったと思いませんか?
(感覚的な話なのでこれを思う思わないも
 人それぞれなんですけどね。笑)

あの落ち着きのないEQ捌きは、
たまーにただのパフォーマンスだとか
揶揄されたりするのを散見するのですが
(本人が無頓着な分、
 私が結構タイムラインとか追っちゃうタイプ。
 DOMMUNEだと本人プレイ中だし。笑)
別にパフォーマンスでもなく、
その曲を一番活かした状態で
聴かせられるようなMIXをするための
バカみたいに緻密な
1音1音の抜き差し作業だったりするわけで
それが流れるような繋ぎとなり、
曲、ひいては音の立体感となる
技術だったりするのです。

私的には、あんなにわかりやすく
顕著に出ることも珍しかったので
後日、本人に色々聞いたんですけど
彼も普段からやっていることとはいえ、
あの日は特に自分なりに
アーティストに敬意を払うためにも
素材が一番カッコよく聴こえると思うMIXを
意識したようです。

その曲をどう捉えて、どうかけるかは
それぞれのDJのセンスに委ねられるので
どういうプレイが
正解か不正解かもないのですが
私にとっては、あの日のDJは
彼の個性が活かされた
正解プレイだったと思っています。
(それを顕在化してくれたあの配信にも、
 アーティストに大感謝です。
 あ、いや、この配信なくしても
 もともと電気、好きなんですけどねー。)

曲そのものの持つ旨味を
自分の持てる最大限で活かそうという考え方は
彼がディスコDJだったことから由来し、
そのために作る音の立体感や繋ぎは
恐らく、ディスコ以降に
彼自身がキャリアの中で培った技術であり、
そしてそれが個性でもあるのかと。

これはあの日のDOMMUNEのような
特定のアーティストだったり
ディスコだったり、90’Sだったりな
縛りのあるプレイでなくても、
どんな選曲でも
常に彼のプレイにあるもので、
それをきちんと感じるにはある程度
曲をじっくり聴ける
(輪郭を損なわない)速さのBMPと
曲や音を音のシャワーに埋もれさせない程度に
多すぎない音数というのが必要で、
それが揃うことで
ビートの隙間にうまーく
別のビートが重なっているのが
(これが技術力の部分。
 あのEQいじりまくりによる産物でもあり)
よりわかりやすく味わえるという楽しさも。

そういう意味で、
その良さが生かされる方向へ
プレイスタイルが変わったのは
「昔の方が良かった」
と思う方々とは反するのですが
売れるとか売れないとかは別にして
彼自身にとって、
良い転換期だったのではないかと
特にこのnoteを書き進めるにあたって
個人的には思うのです。

ま。これはあくまで私の考えなので
しつこいように何度も言うのですが
彼のどこに魅力を感じるかも
全く感じないかも人それぞれ。
押し付ける気もさらさらないんですが
「あー、こういう意見もあるのね」程度に
読んでもらえたら幸いです。

ということで、なんかこのまま書きすすめると
これからもWADAを宜しくお願いします的な
最終回のような雰囲気になりそうなので、
「私のWADA考」多めになっちゃいましたが
今回はこの辺で・・・

まだこの後、このプレイスタイルの変化は
作品にどういう影響を
及ぼしたか問題もあるからね。
最終回になっちゃわないように
軌道修正して
うっかり泥沼に嵌っちゃう前に、、

ふー。

なかなか彼の良さを
言葉で伝えるのって難しかったです。
途中でパワポとかで
図解したい衝動に何度も駆られました。笑
(それだってできるかどうか
 わかんないけど。)
彼の嫁である前に
長年、彼のプレイや作品をたくさん聴いている
いちファンであったし、今でもあるので
語りたいことがいっぱいでして。。。
なので、うっかりするとあれもこれもで
論点がずれるずれる。
(実際ちょっとずれている)

それに、気づくと
嫁になってしまったばっかりに
普通に好きなアーティストのこと
書いてるつもりが文章だけ読むと
我ながら、バッカじゃないの?とか思うほど
嫁バカ(?夫バカ?)に見えちゃって
正気に戻ると急に
恥ずかしくなっちゃったりしてね。未だに。

なんだかねー。嫌だねー。(笑)

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