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DJ WADAヒストリー Co-fusion編 ②

さて、重い腰を上げてこんにちは。
雨ばっかりで
ちょっと消化不良気味なまま
夏が終わりそうでモヤモヤしますが
いかがおすごしですか?

私は、今年はなんだか
珍しくゆっくりな夏を過ごしています。
だったら、もっと更新を、、
と、いきたいところなんですが、
実は先月までに書き上げたものが
ちょっと微妙に違う感じだったので
全書き直ししちゃったのです!

で、改めて書き直すにあたって、
「あれ? 私なんでこれ書いてるんだっけ?」
みたいな今さらな疑問に駆られまして、
始めたきっかけとかスタンスの見直しとか
ちょっと原点まで帰っていました。笑
(時間ってありすぎてもいけないよね!)

私は、今書いている時期の少し後の98年に、
DJ WADA、
そしてCo-fusionの存在を知りました。
これを読んでくれている方の中には
私と同じくこの前後で彼を知ったという人は
多いのではないでしょうか?

この頃、田舎から上京してきたばかりの
お子様の私にとって彼らは
自分とは全く違う世界の住民で、
まさか、今こうやって側にいて
その片割れの半生を語ることになろうとは
露ほども思わない、、、
ああ、、! 恥をしのんで言えば
“スター”のような存在でした(笑)
そういう存在の、
そういう時期を語るとなると
必然、私の余計な想いが込められてきてしまう
可能性があります。

しかし、今、私がここでやりたいことは
音楽が大好きでちょっと繊細、
そして空想家の一人の青年が
人生の一区切りを迎える年齢までに至る様を
淡々と、そして、
面白おかしく語りたいだけで、
決して彼の偉大さや過去の栄光、
または「昔は良かった」などどいう
彼にとって“恵まれていた”当時の環境を
必要以上に懐かしむことではありません。

特にそれは過去に縛られることを
好まない彼の意にも反しますし、
何より今の彼を
半ば否定することにもなります。
私は過去から今まで、そしてこれからも
表現を模索し続けている彼を
アーティストとしてリスペクトしているので
もし、上記のように過去の栄光に
縋っているようにとれるのであれば
ちょっと悲しいなぁと思い、
そして、これから
私の知る時代に突入するにあたり
余計なバイアスを盛り込まないよう
気をつけよう、
という自戒を込めて、
こんな暑苦しい文章を書いてみました。

まあ、懐かしみたくないなんて書いたけれど
当時を知る人が
「ああ、こんなこともあったね~」とか
知らない人が
「当時はこんな感じだったんだね」程度に、
過去に思いを巡らせて
その中で生きた人間のいち側面を
興味本位で
軽く読んでもらえるのは嬉しいです。

そして、彼を含めて
何かしらの表現活動をしている人たちの
時代も、それぞれを取り巻く環境も、
個々の性格も違うなかで
参考にはならないかもしれない、というか
ほとんど参考にならないと思うけど
ほんのわずか、何かしらの希望になれば
これ以上の幸せはありません。

そういうわけで、
めんどくさい私の一部を晒す記事の
おまけみたいになりますが(笑)
あともう少し、
Co-Fusionについての前回の続きのお話を。

*

TANIさんの地道な努力と
Kondoさんの協力の甲斐あって
94年、〈Plastic City〉と
〈TRIBAL AMERICA〉の
2つのレーベルからAtom名義でリリースし
世界へとその存在をアピールした
TANIさんとWADAのユニットは、
特に名門〈TRIBAL AMERICA〉からの
リリースの効果も手伝って、
ダンスミュージックシーン、
とりわけヨーロッパにおいて
一目置かれる存在となっていきます。

94年のリリース後も〈Plastic City〉から
Atom名義でコンスタントにリリースし続け、
96年にはAs Two Men名義で
〈Oxygen Music Works〉からも
リリースする等して
その地位を確立していくのですが、
それを追うように国内でもゆっくりと
彼らは認知されてゆきます。

94年の2レーベルからのリリースの翌年、
『Maniac Love』土曜日の
レギュラーパーティー〈Sublime〉の
オーガナイザーだった
YAMAさんが立ち上げたレーベル
〈Sublime Records〉の
サブレーベル〈Reel Musiq〉から
Co-fusion名義で
「Diretta E.P.」と「Frontier」を発表します。
(ちなみにこの頃には
『Maniac Love』のパーティ名は
〈CYCLE〉へと変更。)

Co-fusionは「communication fusion」の略。
WADAが以前、渋谷『CAVE』で
レジデントをしていたパーティーの名前で、
当時Basharに傾倒していた彼が
本に書かれてある話から
つけた名前だそうです。

で、あれですね、「Diretta E.P.」の名前、
お気付きの方もいらっしゃるかと思いますが
そうです、2014年に立ち上げた
WADAのセルフレーベル〈Dirreta〉に
繋がるようで
繋がらないような感じでもあります。

繋がるようで繋がらないって
わけわかんないですね(笑)

これは、私による
WADAの話からの推測ですが、
特にこの曲に思い入れがあっての命名ではなく
その前の、インスパイア元である
手塚治虫の『上を下へのジレッタ』に
繋がるものがあるっぽいです。
これを文章で語るには面倒なんで
今回は割愛しますが、
ご興味のある未読の方は
是非読んみてはいかがでしょうか?
ちょっとセクシーです。

あ、あと、曲とレーベルでは綴りが違います。
曲の方が間違えてるらしいです。
って間違いもなにもネーミングだから
別にいいんですけどね。

と、横道に逸れちゃいましたが
名前の話はおいといて、、、

こうして国外、国内ともに
本格的に二人のユニットとして
一つの波に乗った二人。
そのままの流れで97年に発表された
〈Sublime Records〉のコンピレーション
「Sublime The Adolescence」 に収録された
Tone Open」 をきっかけに
彼らは2つめの波に乗ることになるのです。

※リンクは「strutin」になってますが、
 「Tone Open」です。
 「Tone Open」で上がってるのが
 「strutin」かと。。。

*

ということで、
内容薄くてホントごめんなさい!なんですが
今回はこの辺にしておきますかね。
もう、続きはめんどくさいから
Discogs見て!(嘘)
つうか、今回の内容のほとんどが
Discogsみたらなんとなくわかるという。。。
すごいよねDiscogs。
誰がまとめてくれてんの?

次回は毎度のことながら
いつのことになるかはわかりませんが、
とりあえず、
書き直ししないで済むようには頑張ります。

で、あ!
危うくお知らせし忘れるところでしたが
今度の10/7(土)にZEROで
Co-FusionのDJ SETやります。
久々に二人揃っての出演で
個人的に楽しみで~す!

ではでは、皆様、
引き続き良い夏を!

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