罪の重さ

昔、一般道35キロオーバーでオービスに引っ掛かり、裁判所で略式起訴で14万円の罰金を支払ったことがある。

スピード違反は道路交通法違反だけど同じような罰金刑は、刑法やほかの法律にもある。

娘に聞いた。「同じ金額の罰金刑で、違反名で社会での反応が違うのはなぜだと思うか」と。「一つは、ひとに迷惑をかけているかどうか。2つ目はおんなじことだけど、嫌悪感を持つかどうか。」との答えだった。一つ目は被害者がいるか、2つ目は自分が好きか嫌いかということです。

結局はその人それぞれのエゴなのだ。自分に直接かかわっていないけど、気持ち悪いと思う。その気持ち悪い正体をはっきりせずに、人を非難する。似たようなことが、今の世の中あちこちにある。その根底にあるのは無知ということだと思う。知らないから、不安。無知を自覚せず自分が正しいと思うのは違う。

昔、秋元康さんが笑っていいともで「嫌いな人に定期的にあって、やっぱり嫌いだということを認識する」みたいなことを言っていました。嫌いの理由を自分の中ではっきりさせて人を嫌う。なぜ嫌いか、なぜそこが嫌いか、会うことによって再認識する。なるほどなと思いました。嫌いな理由をはっきりさせることって後々の判断を誤りにくくすると思われます。

自分も、今までの経験や、見聞きしてきて得た情報から文章を書いているので、当事者じゃないとわからないこと、知らないことたくさんあるはずです。見方を変えれば私の書いている内容って理想論だけじゃんという人がいてもおかしくなし、自分の身近の人は全く違うタイプだから私の言っていること違うんじゃないということだってある。

30 年前の曲浜田省吾さんの「A NEW STYLE WAR 」という曲がある。今も時代にも古臭さは全くなくて、30 年前は「かっこいい!」だけだったが記念DVDと見た(聞いた)時、歌詞が今の時代も変わっていなく特に最後のフレーズ

愛は時に あまりに脆く
自由はシステムに組み込まれ
正義はバランスで計られ
It's A NEW STYLE WAR

は常に頭の中にあります。

自分は立派な人ではないから、他人を批判することなく自分の汚さ、弱さ、狡さを認めて、自分なりに正直に生きたい。

結局何が言いたいかというと、上辺の情報だけで判断したことをあたかも正解のように振る舞わない。です。

と立派な事を書いているが、子供から見たら、「お母さん、そも言い方強要されているようでうけつけない」と言われています。まだまだ実践はできてません。