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ひとつ大きなスケールで見てみる-②

 自分自身の職能である"ランドスケープアーキテクト"について”101 Things I Learned in Urban Design School"という1冊の本を中心に考えてみよう、ということではじめたnoteの2回目です。読者は"若い時の自分"だと想定していますので、素直に思ったことを書き散らしていくことといたします。

 前回の記事には、ランスケの扱うスケールの幅って大きくて、いろいろな職能と付き合う必要があるということを書きました。今回は、そんな中で他の職能がいる中での立ち位置について言葉にできましたので、書いてみたいと思います。例の"101 Things Learned〜"のトピックNo.4に以下のようなことが記載されています(かいつまんで訳しています)。

Invert your Thinking( 考え方をひっくり返してみよう ):「空間」は私たちが創造して配置した「物体」に囲まれた、余った隙間のように扱われがちです。しかし、アーバンデザイナーは建築家が建物の形状を検討するのと同じように屋外空間の形状を検討します。建築物が「残りもの」として扱われることも多いです。道路や広場が明瞭で素晴らしい形状であるために、建物が配置され、修正され、形づくられ、変更されることもあり得ます。

 ちょっと話がそれますが、私が住んでいた町では、そこを通っていくと学校までショートカットできるのに、不審者が出没するということで、子供たちが通ることを禁じられている公園が2箇所ほどあります。そういった公園は、そもそもが道路と住宅との高低差の解消のために作られているとしか思えない配置なのです。道路利用者からも、隣接する住宅の居住者からも非常に見通しが悪い。そういった場所はもしかしたら公園以外の土地利用を検討した方がよかったかもしれません。いずれにせよ、計画段階でオープンスペースが”余り物”として扱われたんだろうなって想像してしまいます。公園なのに子供が使えないってもったいないですよね。そう思うと、ランスケとして忸怩たる思いがします。このような公園を引き続き公園として再整備するという委託があっても、ちょっと難しいなあって思います。

 私たちは余った空間をなんとか素敵に仕立てようではなくて、サイトの条件やスケールを踏まえながら「オープンスペースをふさわしい場所に確保する」ことがまず大切な役割だったんだなと思います。
 そう思いますものの、自分がそうやってきたか言われると、そんな計画段階から参加できる機会があんまり無かったように思います。コラボレーションの場に参加できたとしても、建築さんからの下請けが多く、あらかじめオープンスペースの仕様が決まっていて、緑化率の計算に終始してしまうことが多かったなあと反省します。これまでに参加できなかったのは自分の実力の無さに起因するとして、もし今後、参加できる機会があったら、その辺から問いを組みたてていきたいと思います。また、他力本願になり申し訳ないのですが、その場に参加されている、計画段階という工程の上流に位置する方、どなたでも、まずは建物と同様にオープンスペースの配置に心を砕いていただけると、もったいない空間が減って、素敵な公共空間が増えるのかなあと思います。これは職能を離れて、市民として切に思います。気持ちのいいオープンスペースって財産だと思うんですよ本当に。

 最後は誰かへのお願いになってしまい大変申し訳ないです。じゃあ気持ちのよい公共空間ってどんなもの?というのについて、”101 Things I Learned in Urban Design School"を参照しながら今後引き続き、考えてみたいと思います。

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