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まちがいを装うAI

 生成AIの話題が、その仕組みと同列な職業ジャンルから反発を食いながら、どんどんと活動域というか生殖域を確実に広げています。

 表題の「まちがい」ですが、反論者はAIが間違っているといっていますが、生身の人間同士であっても間違いだらけです。いや対話の最中にあっては正誤を確認していないでしょう。そもそも正しいも間違いも、しょせん証明されているとは言えないのでしょうから。

 リベラルの神髄は「誤謬主義」であることを忘れてはいけません。
間違っているかも知れないという感覚こそが大切なのだと思います。

 もう一つは道具としてAIを見たとき、導入しないというという手はありません。人知れず導入するというカタチは既に現実だと思いますが、その道具を使って扱う情報量を飛躍させた価値の創造ができるかという問い掛けでもあります。これこそが「おもしろい」のだと思います。

 スマホ電卓にも√記号があり演算できますが、これを手計算で解く人はシニア層くらいで、先ず居なくなっています。科学的立ち位置のエンジニアでも表計算ソフトを使っており、微積分の手計算も既にやる人は皆無に成っています。そうした流れに確実に乗っています。

 つまりエンジニアが対象にしてきた領域は、ほとんど自動化が進んできています。数理演算シミュレーターの発達でブラックボックス化が激しく進んでいます。嘆くことなくソフトウエアーのメイキング作業からの開放が行われ、真のエンジニアやアーティストが生き残っています。

 真のという形容をしましたが、生き残った科学アプローチをしている人達は「まちがい」を探しているコトも事実です。つまり「まちがい」という事実こそがユニークでオリジナルな論点であるからです。

 ワクワクする現象です。指摘されるように「まちがい」という思考の新種が次々に発見される環境こそがチャレンジする領域を明らかにしています。知的探求の新たなフィールドが目の前に広がっているのです。
AIよ、どんどん間違いを表出して複雑化していただきたい。 


NAOS研究所から”生成AI”について雑感を紹介しました。
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