見出し画像

崖通信

あたたかいメールをくださった友人に向けて書いてます。

あと、Twitterで気にかけてくださった方もいて…。
ありがとうございます。
とりあえず生きています。

しばらく何も出来ない状態が続いていました。
金縛りにでもあったように身体が動かず、虚ろなきもちに支配され、生きる気力が微塵も湧かず、過去の亡霊に心身とも乗っ取られたような…。

ここ何週間も、そろそろこの世から離れるしかないと思い詰めていて、
それは、ここが、あらかじめ正しさの失われた場所だと気付いてしまったからで、
気付いてしまったときに、私は、自分がほんとうに居る場所のことも視えてしまった。

私の居る場所、それは
切り立った崖の中腹でした。
必死に手足を突っ張って、やっと己ひとりぶんの場所を確保しているような。
これがほんとうにしんどくて…。

がんばって登りきれば、崖の上には白くてうつくしい花が咲き乱れているのだと「思える」ときには、コツコツ登れる気がする崖も、一旦、なにかの拍子にあやういバランスが崩れて、崖の上には花どころか毒虫といやな泥水だらけの穴、悪意に満ちた空気しかないのだと「思いこんで」しまうと、もう駄目で。

一刻も早く、誰か、誰でもいい、この手足を蹴り飛ばして崖から突き落としてくれたら、私は私に相応しい奈落に落ちてゆけるのに。

そんなことばかり考えていました。
実際、一度窓から飛び降りようとしたので、家人は眠れなかったと思います。
申し訳なくて、たまらないです。

そして、私は長年、ある病の治療をしているのですが、急に薬が合わなくなってしまい、強い副作用に苦しんで身体自体がぼろぼろになってしまった。
それも、ここ数週間虚ろになっていた一因でした。
いま、慎重に薬の調整をしていますが、重症の怪我に絆創膏を貼っているだけのような状態なので、いつどうなるか分からなくて恐ろしいです。

私の魂は、ほんとうに脆弱で、怠惰で、ちょっとした挫折や悲しみですぐに美しいものが見えなくなる曇った瞳しか持ち合わせていません。
私と同じ病を得ていても、魂そのものが強く美しい方は沢山いらっしゃいます。

恥ずかしい話ですが、こんな状態になり、過去にあった不幸な出来事を思い出しては、他人を責めることの繰り返しでした。
私の人生がこんなことになってしまったのも、全てあの人たちのせいだ、と。
嫌いな人、苦手な人にわざわざ引きづられて死の縁まで覗くような憎悪をたぎらせる自分自身のことが、もちろん、一番最低でした。

人間というのは多面体で、それこそ、ありとあらゆる「面」があります。
目を背けたくなるような醜い面を見せていた人が、次の瞬間にはあどけなくて愉快な面を見せてくる、なんてことはザラにあります。

私は、ただ崖の中腹から遙か上空に天体の如く浮かんでいる多面体が、それぞれのスピードで軽やかに自転しているのを口をあけて眺めていました。
万華鏡のようにくるくる変わる無数の面を見ることに刺されるような痛みを感じながら。

いっそ、悪100%できた人間ばかりなら苦しまなくて済むのに、ヒトはほんとうに、ほんとうに無数の面で出来ているから、憎みきったり、愛しきったりすることが難しくて押し潰されそうに、なる。

私は、ふとんの中で身を縮めて、頭上をまたたく多面体の天体のことをおもう。
それで頭がいっぱいになるから、身動きがとれない。

けれども、今日は久しぶりに文章を書くちからが少しだけ湧きました。

いつか、古い友人が
「死は最後のご褒美だから」
と言ってくれたことがあります。

正直、まだこの場所が自分の場所だとは思えずにいるけれど、借り物の身体で借り物の場所に存在する私を、赦して下さる方がいるなら、崖の中腹からの醜い叫びを聞いてくださる方がいるなら、私はまたあなたに手紙を書いていいですか。

生きていくことの苦しみについて
ただ自分自身でいることができない牢獄について
あらかじめ失われたはずの世界に美しさが在るのはどうしてかということについて

そうしたら、最後のご褒美を待つことが出来るとおもうから。

•ө•)♡ありがとうございます٩(♡ε♡ )۶