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関口涼子『カタストロフ前夜――パリで3・11を経験すること』からの引用

引用による新たな創造

関口涼子さんの『カタストロフ前夜――パリで3・11を経験すること』。

この書籍のように、たとえ災害時や緊急事態のタイミングでなくても、日々の記録を残すことや、一回性の人生の中で立ち現れた感情の軌跡を記すこと。

そんな行為を大事にしたいと思いながら、なかなか筆が進まずにいる中、書籍の引用という形を見出してみてもいいのではと考える。

自身の手で新しい文章を生み出さずとも、その時々の琴線に触れた言葉を残すことで、それ自体が新たな創造となればいい。

「声は現れる」

書籍のメインを占める「これは偶然ではない」の記載はもちろんのこと、「声は現れる」にて語られる、関口さんの"ラジオ論"とも言える記載の数々が印象に残る。

ラジオ独特の盗み聞きの感覚。同じ場所を共有する人の共時性。

ラジオは常に、公共空間と親密な空間という二つの空間の間を行き来している。

『カタストロフ前夜――パリで3・11を経験すること』P.146

ラジオの声に恋をする、と想像すること。
または、その声をラジオを通して電波に流している人に恋をすること。

『カタストロフ前夜――パリで3・11を経験すること』P.147

声は常に現在であり続ける。

そして、死者の声についても語られる。

死者の声を思い起こすとき、そのたびに死者は生き返る。死者の声は、決して死なない。すなわち、その声が思い起こされる限り、その者も死なないはず。

声は常に現在であり続ける。声は死を知らない。

『カタストロフ前夜――パリで3・11を経験すること』P.180


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