見出し画像

【東京大学の歴史】

東京大学の歴史を考えます。
東京大学の前身は江戸時代に創建された昌平坂学門所です。江戸幕府は国を統治するために朱子学を正学としました。朱子学は南宋の儒学者である朱熹(1130〜1200)によって構築された新しい学問体系です。
中央線の「お茶の水駅」で降りて橋を渡った先に湯島聖堂があります。湯島聖堂は、儒教の始祖である孔子の廟であり、昌平坂学門所に関する数少ない遺構です。また、湯島聖堂と道路を挟んだ向かいには東京医科歯科大学の広い敷地があります。実は、東京医科歯科大学は以前あった江戸幕府直轄の教育機関・施設である昌平坂学門所の跡地に建っているのです。江戸時代には、この場所に各藩の優秀な人材が集まり教育が行われました。各藩の優秀な武士は、自分が所属する藩の藩校で学び、その中の数少ない選りすぐりの優秀な人材が江戸に来て昌平坂学門所で学びました。

東京大学の沿革について少し説明します。
明治維新直後に政府は旧幕府直轄だった昌平坂学門所、開成所、医学所を統合して大学校を建設しました。その後、開成所は東京開成学校に、医学所は東京医学校に改組されて、1877年(明治10年)4月12日に3つの学校が統合されました。この統合により、文部省所管の官立東京大学が設立しました。4月12日は現在「東京大学記念日」となっていて、毎年この日に入学式が行われています。
ちなみに、1877年(明治10年)は西南戦争が起こった年です。西南戦争は、江戸幕府瓦解後に起こった不平士族の反乱で最大規模の反乱であり、最後の反乱でした。西南戦争の激戦地として知られる熊本県の田原坂。田原坂の戦いは1877年3月1日〜31日まで行われました。西南戦争以後今に至るまで、日本では国民同士が争う内戦は起きていません。東京大学は、この国が西南戦争の内乱で揺れ動く時代に設立されたのです。
不平士族の最後の反乱となった西南戦争の主戦場は鹿児島、熊本などの九州地方でした。武士の時代の終わりの年に、東京ではその後の近代日本を牽引していく東京大学が誕生したのです。僕は、このふたつの出来事の同時代性に不思議な感慨を覚えます。

よろしければサポートをお願いします。🐥より良い作品作りのための励みにさせていただきます❗️