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【京都大学の歴史】

京都大学の歴史について考えます。
京都大学の起源は、1861年9月20日に長崎に設立された長崎養生所にあります。長崎養生所は、長崎奉行管轄のもとで開院した江戸幕府の病院・医療施設です。1855年に設立された長崎海軍伝習所から派生して開設されました。この長崎養生所が、現在の長崎大学医学部と長崎大学病院の源流にあたります。
長崎海軍伝習所は、黒船来航後の1855年に江戸幕府が海軍士官養成のために設立した教育機関です。オランダ軍人を教師にして、幕臣や雄藩藩士から選抜して蘭方医学や航海術などの諸科学を学ばせました。海軍の教官として有名な人物にカッテンディーケ(1816〜1866)がおり、医学の教官としてはオランダ軍医ポンペ(1829〜1908)が知られています。ポンペは1857年11月に医学伝習所を設立し、幕府医官の松本良順ら11名に医学講義を行いました。ちなみに、長崎大学医学部はこの日付を「開学記念日」とし、ポンペを「開学の祖」としています。
余談ですが、医学伝習所が開設された1857年から1858年当時の日本ではコレラが流行していました。コレラにより亡くなった死者は28万人にのぼるとされています。
長崎養生所はその後、名称を長崎精得館と改称しました。長崎精得館の理化学部門は「理化学校」として大阪に移設されて舎密局(せいみきょく)となり、後に「理学校」となりました。「理学校」は第三高等中学校と改称された後、1889年8月1日に京都市吉田町に移転しました。その後、1894年に公布された高等学校令により旧制第三高等学校となりました。帝国大学令制定後、近畿地方に帝国大学を設置する要望はあるものの財政難のため見送られていました。その後、西園寺公望が日清戦争で得た中国からの賠償金を基に第三高等学校を帝国大学へ昇格させる提案を行いました。最終的に第三高等学校を東一条通りの南側に移転させることが決まり、1897年6月18日に京都帝国大学が発足することとなりました。
今日まで続く京都大学の設立の経緯をご紹介させていただきました。

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