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眠る杭 / The stake which lies down

自分の制作には「Play / 遊び」「Pray / 祈り」という二つが主軸にあり、その二つの要素が組み合わさり作られています。
[自文]
自分にとって「制作」するということは、「祈る」行為に近いものだと思っています。
(それは宗教的な意味合いはありません。自分はどの宗教も信仰してはいません。)

元々は、どこか遠い異国の地で紛争などに置かれてる子どもや過去の戦争などで過酷な状況に置かれた子どもをテーマに、それこそ祈るような気持ちで制作していました。
いまも主軸としては変わりありませんが、それにプラスして自分自身が見てきた映画・漫画・ゲーム・小説・絵本などの創作物、
その時々に起きている世界の出来事、自分の身の回りの日常的な出来事や風景、夢の中で見た光景などを要素として付け足して、綯い交ぜ合わせて作品にしています。

その複雑に覆いかぶさった沢山の要素を、単純な造形に落とし込んでいるので、出来上がった作品はシンプルというかキュチュというか、
そんなに大したモノではなく見えるようになればいいと思っています。
「見やすいけど、分かりにくい」作品になればいいなと思っています。
(作品を見て、何を考えているか分からないと言われた時は嬉しいです。)

自分にとって制作することは「祈る」ことでもありますが、「遊び」の部分も強いです。
幼少期から一人遊びの一環で、家の中で落ちているゴミなどで意味不明な立体や楽器などを作って遊んでいました。
もちろん、よく絵も描いていました。
それと自分のつくりだした世界観の中に没入して、一人芝居もしていました。
公園では、今でこそ言葉で表せますが、拾った物を公園に配置したりお菓子のシールを遊具に貼りまくって構成したりと、インスタレーション?のようなこともしていました。
その記憶があるせいか、制作するということは「遊び」の延長線上にあるように意識しています。

「祈り=Pray」と「遊び=Play」という英語にすると似ているけど、意味合いとしては離れたものを混ぜ合わせた意識で制作しています。
そこから生まれるものは「曖昧」なモノであればと考えています。

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一本の杭と一輪の花
削り取られた杭は朽ち果てるモノ、切り取られた一輪の花は消えるモノ。
それらに寄り添うように在る、ただそこに在るモノ。

杭は死者であり生者でもある。どこか遠い時代、または遠い国。そこに暮らす人々。その人たち生活が理不尽な理由で崩されていく様。じぶんは其処には行けないので、制作を通して、その人たちの心身に入り込んで「ある種の悲しみや寂しさ」を感じ取れればと思っています。その行為は偽善的ではなく独善的です、とても独り善がりです。自分がしていることは一人遊びであり、また人は祈っている時は一人です。(例え、集団の中にいようと祈っている時は自身の領域は一人分です、自分の心に集中している時こそ人は孤独です)
自分の中に潜っている時こそ、何故かそんな時こそ人の事を想えるものではないでしょうか。

(写真は印刷と展示していないものです)

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