じぶんのはなし4

主となっている・・・こどもが描かれた作品について。

2007~2009年は、丸い白目シリーズ。女の子の目が丸い白目。こわい絵。何故こわいかというと、戦争や貧困などに置かれた子どもをテーマにしてたからか、悲哀の感情や怒りを込めて描いてたからか、なんとなしにこわくなった。人物の下には影をつけていませんでした、生きていることと死んでいることの間を表現していたから。3年生の途中から、直接的すぎるから表現を変えようと考え始めた。

2009年から、美術をやる前からやっていた感覚を揺り戻して、幼い頃の自分も思い出して、もう技術的なことは考えない!と思って描き始めた。戦争や貧困とか理不尽な状況に置かれている子どものことは主軸には置きつつ、自分が見た夢や日常のこと・映画や漫画や小説などから吸収したことを綯い交ぜにして作品をつくるようになった。だから、見てる人はよくわからないと思う。実際に何を考えて作っているのかわからないとよく言われた。自分でもよく分からないので、自分の中で記憶から薄れて忘れる作品ばかりだけど、たまに見てみると、いつも新鮮に見える作品ばかり。

そして、だんだんと目が細くなっていく。この絵は2011年に描かれたもの。まだ被災地に行く前に描いた作品。自分の中で感情や情報を整理するために、そして、鎮魂と無事を祈って描いたもの。長いこと人に見せないようにしていた。この頃から、向上心や展示欲みたいなものは少しずつ消えていった。被災地に行った後は制作する意味を考えるようになった。自分のやっていることは、続ける意味があるのか?と考えていた。格段に制作する時間は減っていいった。

だけど、それとは裏腹に美術・アートに対する知識や知恵・思想は深まっていったし、自分の持論みたいなものは持てるようになった。自分にとっての答えを見つけたのだが、、、制作バンバンするぞ!という風になっていない。自然な流れに乗って身を任せて制作するようになった。もう[こども]をメインとして描かなくなってきた。もう流れのまま描いてみよう、と思うので、いろいろと描いている。じぶんを保った上で、自分を通して入ってくるものを吸収消化して出たものは、ぜんぶ自分の作品であると思うようになった。

でも、こどもの絵も描いている。最近は鼻と口がなくなった。沈黙の中にある静かな弱さを表現したいのだろうかな。

一貫しているのが、自己主張のためにつくっているわけではなく、ただただ祈りに近いものとして制作している。理不尽な目に遭っている子どものために祈っている。いやいや大人も含まれているし、動植物も。宇宙までいくと胡散臭い。売れなきゃ繋がらないと思っていた時期があったけど、つくってれば直接的じゃなくても繋がっていくものかと。河原に落ちている石ころと同じようなものが作れればいいと思います。おわり!!

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