パラムの会から

※1999年5月20日に開催された全国在日朝鮮人教育研究協議会での発題原稿。

はじめに-パラムの会の性格について

 パラムの会は、「日本籍朝鮮人・ダブル」の集まりとして(より正確に言えば、「日本籍朝鮮人・ダブル」について考える人々の集まりとして)、1995年に活動を開始した。当初、民闘連に日本籍者部会ができたと聞き、そこでの報告を出席者から聞いたのが促しとなり、始まりとなった。それまでは、会をつくることなど考えてもいなかったというのが、実際のところだった。

 今の時点から振り返ってみて、たった4年前とは思えない、意識の差異に驚きを覚える。在日朝鮮人の視点からすれば3世以降の世代となる者たちが中心に集まっているが、「日本籍朝鮮人」、あるいは「ダブル」であるとの自己認識は、会に関わるそれぞれにとって、公にし得るもの、してもよいもの、あるいはすることによって何かを生み出すことができるものと、考えられてはいなかった。むしろ、「在日朝鮮人」が主として集まる共同体と、「日本人」が主として集まる共同体とのそれぞれの中で、どちらでもないという自己への違和感を抱えながら、その違和感を言い表す表現を見出せずに、違和感そのものを否定的に捉えていたというのが現実であっただろう。
もちろん、「日本籍朝鮮人」の問題を考える時に、当事者としての、10年に及ぶ「民族名をとりもどす会」の活動があったことは事実である。パラムの会は、そこでなされてきた取り組みを学ぶところから出発した。そして事実、私たちの仲間の1人は、この会の活動を知り、氏変更の申し立てを行って、民族名を取戻すことになった。しかし、私たちの活動は、解散した「民族名をとりもどす会」の活動を引き継ぐことや、あるいは、そこから発展して、何かの目標を定めて運動を起こすということには、なっていかなかった。

 その理由はどこにあるのだろうか。1つの理由は、集まって話し合いを続ける中で、「日本籍朝鮮人」も「在日朝鮮人」の一員であるという理解や主張の仕方に、意見が統一されて行かなかったということが挙げられよう。95年度全朝教大会の最初にできた「地域活動-日本籍朝鮮人」分科会の報告で、パラムの会からは陳太一が報告を行ったが、そこで、パラムの会での話し合いを踏まえて(特に「一、日本籍朝鮮人の現状と課題」の部分は「民族名ととりもどす会」の活動を担ってきた2世によって分担執筆された部分なのだが)、彼はこう書いている。

 「しかし、同胞社会でも日本籍者問題をまだまだきちんととらえていない。例えば、本名を隠し通名を使い、自分の親を隠し、朝鮮人であることを隠し通そうとする。そして大人になって『帰化』をし『日本人』になろうとする。これはもちろん日本人社会の問題でもあるが、我々同胞の問題でもある。仮に、このような社会で育った子どもたちが大きくなって「帰化」を選んだとしても、それをどうして責められるのか。ましてやその中から民族的自覚に目覚め、本名・民族をとりもどして生きていこうとする青年があらわれれば、同胞として受け入れるのが同然だと思う。『日本的氏名の強制』『十指指紋の強制』がなくなったからといって、『帰化』要件がどれだけ軽くなったのか。韓国・朝鮮籍を持っている同胞がどれだけ日常的に本名を使い、民族的誇りをもって生きているのか問い直さなければならない」。

 ここでは、自らと異なる集団としての「同胞」と、自らも属する集団としての「同胞」と、さらには本名・民族をとりもどした者が当然加わっていくべき集団としての「同胞」というように、1つの在日朝鮮人=同胞という枠組みに、いくつかの意味付与がなされていることを見て取ることができる。そこに現れているのは、特に、帰化者に対する「在日朝鮮人」共同体からの冷たい視線を押し返そうとする思いと、大切なのは国籍ではなく、民族名を用い、民族をとりもどして生きる、その生の実態であるとする主張である。それは一言で言えば、「在日朝鮮人」の枠組みの拡大もしくは変更の申し立てである。

 しかし、そのような思いと主張は、民族名をとりもどし、民族をとりもどし、国籍は違うが、自分は在日朝鮮人であると認識する場合には成り立つが、誰でもがそうであるとは言い難い。実際に、集まってきたメンバーの話の中では、逆に「日本籍朝鮮人」や「ダブル」を、「在日朝鮮人」の枠組みの中に入れようとする論調に、批判的な意見の方が強かったのである。その典型的な表現が、例えば、「自分は間人だ」という自己表現であり、「境界人」という自己表現である。

 第2の理由としては、パラムの会に集まったメンバーが最初から取り組んだ、自分史を語るという試みの中で、例えば、「日本籍朝鮮人」、「ダブル」というように1つの枠組みを作り用いればそこに入ることになるという人間であっても、その中身はといえば、多種多様であるということが分かってきたということが挙げられる。

 実例を一つ挙げよう。曺理沙というメンバーがいる。彼女は、在日朝鮮人の父親と、日本人の母親との間に生まれた、いわゆる「日本籍のダブル」である。そして、私は、帰化した在日朝鮮人の父親と、日本人の母親との間に生まれた、いわゆる「日本籍のダブル」である。「ダブル」という枠組みをつくり、そこだけを見るならば、曺理沙と私の間に差異はない。同じ「ダブル」であるということになるだろう。

 しかし、2人の生い立ちから丁寧に辿ってみるならば、そこには大きな違いが存在している。いちいちを記せばきりがないが、名前の問題についてだけ、簡単に記してみよう。彼女は、戸籍名である「市側」と、父親の通称名である「武田」と、父親の民族名である「曺」とを、それぞれに使った経験を持っている。そこでの様々な経験と、また父母との関係の中で、彼女は現在、曺という通称名を使って生きている。そして、私は、「安田」という姓に帰化し朝鮮人であることを隠し通した父親と、その中でなお私に朝鮮人の血を引いていることを受け止めさせようとした母親との関係の中で、私に民族教育をしてくれた母親の思いを受け止めて、「安田」という姓を用いて生きている。

 短い紹介に過ぎないが、これだけのことを考えてみても、「日本籍朝鮮人」や「ダブル」という枠組みがさほど意味を持ち得ないということと、「民族名をとりもどす」ということが必ずしも、「本名」と結びつかず、民族をとりもどすということとも結びつかない現実が生まれているのだということがわかってくる。

 パラムの会には、多種多様な人々がやってくる。ただ大事にしたいと願っているのは、そこで、一人一人の話を丁寧に聞くということだけである。それだけが保障されれば、それでよいと考えている。会費もなく、会員もいない。自由に出入りし、自由にいなくなることができる。会として何かの組織には属さない。

 それは、「枠組み」を問う作業は、新たな枠組みを作ることを拒否し、既存の枠組みがどれほど多様性に満ちているかを明らかにすることによって成立すると考えているからである。従って、ここに記されている文章の責任は、パラムの会ではなく安田個人にある。

多様性の現実-名前の問題を巡って

 パラムの会の定例会は、ほぼ月1回のペースで開かれているが、そこで話し合われていることのほとんどが、自分史である。講師を呼んで話しを聞いたり、読書会を開いたりしたこともあったが、内容のほとんどは、自分史を語るということにつきている。

 この点については、批判もあった。いわく自己への埋没である、そこに留まって何も生まれない、等々。しかし、私自身は、現時点では、後述するように叙述的自己表現の獲得こそが、差別と向き合い、相互理解を可能にする道であると考えている。

 さて、そこでなされてきた話し合いを、逐一報告できないのは残念だが、問題提起を行うためにも、話し合いの中に現れた多様性の一端を、「名前」の問題を巡って、整理してみたい。

<A-両親とも在日朝鮮人である場合>
(1)両親とも「戸籍名」は「民族名」である
a.朝鮮語の発音で「民族名」を用いている ①
b.日本語の発音で「民族名」を用いている ②
c.朝鮮語の発音の「民族名」と「通称名である日本名」を用い分けている ③
d.日本語の発音の「民族名」と「通称名である日本名」を用い分けている ④
e.「通称名である日本名」のみを用いている ⑤
(2)帰化をして両親とも「戸籍名」は「日本名」である
a.「戸籍名」である「日本名」のみを用いている ⑥
b.氏変更の申し立てを行い、「日本の戸籍名」として「民族名」を用いている ⑦
c.氏変更の申し立てはしないが、「通称名」として「民族名」を用いている ⑧
d.氏変更の申し立てはしないが、「通称名」として「日本名」と「民族名」両方を用いている ⑨
<B-片親が在日朝鮮人であり、片親が日本人である場合>
(1)「戸籍名」は「民族名」である
→ ①~⑤と同じ。但し、「通称名である日本名」が、父または母の「戸籍名」である「日本名」と、父または母の「通称名」である「日本名」のどちらか、または両方があり得る。
(2)「戸籍名」は「日本名」である
→ ⑥~⑨と同じ。但し、⑨の場合「通称名である日本名」が、父または母の「戸籍名」である「日本名」と、父または母の「通称名」であった「日本名」のどちらか、または両方があり得る。さらには、選択の権利を保留している場合がある。
<C-片親が帰化をした在日朝鮮人であり、片親が日本人である場合>
(1)「戸籍名」は「日本名」である
→ B(2)の「~あり得る」までと同じ。

 これらのパターンは、ほぼ、パラムの会に集まった少ないメンバーの中に見ることができるものである。もちろん、一人の人間がいくつもの経過を経ている場合もある。さらには、ここに親同士の関係性、親子の関係性、両親(あるいは片親)の問題意識、友人との関係性、地域、共同体、親戚、自身の結婚などがからんでくるので、問題は、そんなに簡単ではないが、いくつかのことを指摘することができよう。

 第一に、基本的には9通りのパターンと、さらに条件次第で変容するパターンがあり得ることを実際に目の当たりにすると、名前は実に多様であるのだということを指摘しなければならない。差別故に、「戸籍名としての民族名」を名乗ることができず、「通称名としての日本名」を名乗っているというふうにステレオタイプに考えられてきた名前の問題は、そんなに単純ではない。むしろ、そのステレオタイプ化の陰に、名前の多様なあり方を背負っている人間の存在が隠されてきたのではないか。

 第二に、「本名」、「通称名」、「民族名」などの概念そのものが意味を成さなくなっているという現実である。従来、「本名を呼び名乗る」と言えばそれはすぐさま「民族名」であったし、「通名を使っている」といえば、それは「通称名としての日本名」のことであった。しかし、もはやそのような区分けは通用しない。「本名」として「日本名」を持ち、「通称名」として「民族名」を用いる人間がいるからである。その時に、「本名」=「民族名」という図式でだけ捉え続けるならば、「本名」=「日本名」であって、「民族名」を「通称名」として用いている人間、あるいは心の奥深くに「民族名」を持っている人間の存在は、ここでも隠されることになるのではないか。

 第三に、姓は一つであるという概念もまた揺らいでいる。「日本人」同士での結婚においても婚姻届を出さず、別戸籍別姓で生活をし、子どもは無戸籍で両方の親の姓をつけて住民票を作成するという生き方が生まれている。それと同じように、日本や韓国の戸籍制度に縛られることなく、在日朝鮮人である親の思いと、日本人である親の思いとを受けついで、両方の姓を名乗ろうとする人間がいるからである。

多様性の受け止め方と表現の仕方-問題提起として

 名前の問題を巡る以上のような多様性を如何に受け止めるべきか、あるいは、どのように表現する道があるのかということについて、具体的な問題提起をしてみたい。

 第一に、全朝教の「本名を呼び名乗る」というスローガンについてである。このスローガンを掲げる中で、名前の問題を巡る多様性はどのように具体的に捉えられてきたのかということを振り返ってみる必要があるだろう。そこでの「本名」とは、やはり「民族名」にしか過ぎなかったのだろうか。そうではないのではないか。一人の人間の名前に込められた思いを汲み取る作業は、多様性にぶつからずにはおれなかったはずであり、それが、深められ共有されていく過程があったのではないだろうか。その過程の中で、従来の「本名を呼び名乗る」というスローガンをもう一度捉え直してみるならば、こう言い換えることができる。すなわち、「本名を呼び名乗る」というスローガンが意味していたことは、多様化の現実を見詰めて拡大していうならば、家族、社会、文化などの諸側面を含み込んで、自分の名前をきちんと自分で決めていくという、名前に関する自己決定権をきちんと守り育てようということであったのだと。それゆえに、私はここで、全朝教のスローガンを「本名を呼び名乗る」から「名前を巡る自己決定権を守り育てる」というふうに、拡大変更することを提起したい。さらに、「本名」というあいまいな表記は使わないこととし、民族名と日本名に関しても、「戸籍名である民族名」、「通称名である民族名」、「戸籍名である日本名」、「通称名である日本名」というふうに丁寧な表記を用いることを提起したい。

 第二に、その上で、「名前を巡る自己決定権を守り育てる」という課題は、どのようにして果たすことができるのかということについて、「叙述的自己表現」という方法論を提起したい。いったい、「在日朝鮮人」といっても、「日本人」といっても、それだけでは、何事かを表現したことにはならない。先に挙げた霪理沙と私の例を引くまでもなく、「日本籍朝鮮人」や「ダブル」でもまったく同じことである。多様性を認めた上で(もし認めなければ見えない存在が増えていくだけ)、名前を含めた自己の出自、人間関係をきちんと説明し、自分が何者であると今現在考えているのかを、時間をかけて丁寧に言い表すならば、そこで、初めて「自分が誰か」という問いに答え得る、あるいは言い表し得るだろう。それが、「叙述的自己表現」の目指すところである。そこでは、「在日朝鮮人」、「日本人」、「日本籍朝鮮人」、「ダブル」などの、ある特定の枠組みは自己認識の初期の段階で補助的な役割を果たしはするものの、中心的な意味を持つことはない。「叙述的自己表現の多様性」(叙述的自己表現は多様でしか有り得ない)によって、利用する枠組み自身が絶えず新たに拡大されていくからである。

終わりに

 坂中英徳氏は、「これまで在日はどう生きてきたのか-坂中論文から20年」と題する1997年の講演で、「在日の人たち」の功績を経済文化等あらゆる面で列挙し、日本の発展に寄与した、世界のマイノリティの中でも最も成功した集団であると持ち上げた上で、こう語った。「ただ一つ私が残念に思いますのは、いろいろな困難な事情があったことは承知していますが、在日の人たちの多くが民族名ではなく日本式の姓名を使って職業活動、事業活動、その他の社会活動を行ったことです。これだけの仕事をし実績を残した在日の人たちが、もし民族名により社会活動を行っていたとしたら、在日韓国・朝鮮人の存在がもっと広い範囲の日本人の間に知られ、日本人の韓国人・朝鮮人観にも好ましい影響を与えることになったのではないでしょうか」(坂中英徳『在日韓国・朝鮮人政策論の展開』日本加除出版、1999年、32頁)。

 帰化し、そのことすら語ることのできなかった父を思い、坂中氏の言葉には言い尽くせない怒りを覚える。しかし、坂中氏の問いかけは有効であり、私たちは、それに答えなければならない。私はこう答えたい。「本名を呼び名乗る」というスローガンは、坂中氏の主張を補完するものではなく、そこで差別を超えて新しい人間関係を生み出すことにあったのであり、さらに、「叙述的自己表現」を推進し「名前を巡る自己決定権を守り育てる」ことへと展開されて、「在日朝鮮人」、「日本人」、「日本籍朝鮮人」、「ダブル」という枠組みそのものを打ち壊していくのだと。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

安田直人

「パラムの会」を出発点とする私の発言

1995年から2000年にかけて、京都・東九条を集まる場所として、"日本籍朝鮮人・ダブルの会"が、「パラムの会」という名前で開催されていました。そこで話し合ったことを手がかりに、自分なりに考えて、話したり書いたりした私の文章を纏めています。もちろん執筆時の見解に過ぎません。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。