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HipHop Story ❶

沖縄県糸満市・・・


糸満の有名な神社「白銀堂」の近くを歩いていたら
「NY」と書かれたニューエラを被っている爺さんが杖をついて私の方に歩いてきた。


「よっ!青年。」


気前良さそうな感じで挨拶したので私も同じように返した。


「ワシは先月、久々にこの町に戻ってきた、いや久々にこの世界に帰ってきた。」


久々というワードが怖くて問いただせない感じだったが、爺さんが続けて話した。


「ずっと、独房にいたのじゃよ!これを聞いたら近寄りがたい。」
「でも殺人はしておらん。大麻を大量に取引していたから長い間、独房生活となった。」


この爺さん、俺に何を言いたいのか?
こんなに話していいのか?疑問に思った時に本題に入る・・・


「青年、なんでワシが話かけたか知っているかい?」
「レコードの袋からワシが好きな音楽のアーティストのジャケットが見えたからだよ」


え?これ、HIPHOPだけど爺さんが知っているの?と思って逆に驚いたが
急に爺さんが生き生きした顔で俺に続けて話しかける。


「今は何でも手に入って聴けるらしいじゃないか」
「ワシの時代は簡単には手に入らなかった。でも沖縄という地域柄、米軍との関りでHIPHOPと出会ったんじゃよ


1970年後半・・・沖縄県糸満市。


漁業が盛んなこの町、糸満ハーレーなどのイベントは大盛況。
今とは比べ物にならないほどの人だかり、その時代の娯楽は限られているから
みんな同じベクトルを向いている。


だから昔の人は「あの時代は良かった・・・」と言う


日本は高度経済成長を迎え、沖縄は返還されて少しずつ町が盛んになっていく・・・


沖縄には米軍基地もありアメリカ文化も深くかかわり、アメリカ人とは密接な関係にある。
その時代にアメリカでHIP HOPが生まれた・・・


アメリカのニューヨークブロンクス・・・
その時代はディスコが流行っていた時代で、スニーカーがなければクラブに入れない。
スニーカーは金を持っている人が履いている靴で、当時は金のない人、特に人種差別があり黒人は貧しくて買えなかった。


そんな連中が公園に集まり、SOULやFUNKの間奏(ブレイク)部分をループして流したり、またはそれに合わせて歌ったりdanceしたり、または公園の壁面で落書きをしているものもいた。
これを「ブロックパーティー」と呼んでHIP HOPの始まりだ。
この時に4つの要素からなる「DJ」「MC」「dance」「graphic」が誕生した。


その中でも、ひときわ目立った人物が3人いた・・・


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