その鍋、凶暴につき

 しばらくの間おひまを頂戴します。ま、われわれのはなしの方に出て参りますのは、相変わらずの連中ばかりで。
 「おう、八っあん、JAの八重山地区畜産振興センター長がみんなに集まってくれって言ってるよ」
 「何でぇ、あの野郎、おおかた飼料えさ代の催促だろ、この不景気の世の中に相変わらず空気の読めないことするじゃねえか」
 「熊さん、お前もだよ、センター長が必ず来いってさ」
 「冗談じゃねえや、子ども手当が出るまでもう少しの辛抱だと、野郎にっておけ」
 「留公、お前はどうだい」
 「なにもびくつくこたあねえ。JAの督促にいちいち臆病風吹かしていたら、牛飼いはつとまらねえ」
 「まあまあ、センター長もわれわれと一緒の牛飼い仲間の一人だ。とにかく行ってみよう。……へい、こんにちは」
 「こんちわー」
 「ちわー」
 「おそろいでみなさん。ご苦労さんでしたね。今日はほかでもない。子牛のセリ値も持ち直すのに時間がかかっているから、ここいらで、景気付けにみなで座興でもやって気をまぎらわそうということです」
 「もうJA主催の花見は去年でこりごりですぜ」
 「ああ、てっきり礼文島のウニと思ったのが、森永のプリンに醤油を付けたのを食わされるのはまっぴらだ」
 「あぁ、オレはあれ以来ウイスキーの水割りを見るたびにイソジン溶液を思い出す」
 「いえ、今回は花見ではありません」
 「それで、いったい何をやるんです?」
 「闇汁といって、お互いに思い思いが持ち寄った食材を煮て食べる遊びです。闇の中で誰が何を入れたか見当もつかないから、食べる段になって思いがけないものを味わえる。また鍋に何を入れるかを思案する楽しみもある」
 「何を入れてもいいんですかい」
 「まあ、何を入れてもいいが、あまり怪しいのを入れると自分が食う羽目にもなりかねません。かと言ってまともなものばかりじゃ、興ざめですから。俳句にも<闇汁のふたを上げしは狸から>長谷川かな女。<闇汁の杓子<しゃくし>掛けし|草鞋ぞうりかな>日出登というのがあります」
 「なるほどそいつは面白そうだ。早え話が暗闇でみんなして寄せ鍋をつっつこうてんだね」
 「それでは皆さん、今夜は集まって下さい。必ず、一品か二品、食べれる実を持って」
 「今晩は」
 「ちゃーびらさい」
 「さあ、皆さん。上がって上がって。持ってきたモノはお互いで見せないようにしてな。灯りを消しますよ。……そろそろ鍋が煮立つ頃合いだ。実をどんどん入れて」
 「おう、旨そうな匂いがしてきた」
 「そろそろ箸を付けましょうか」
 「もぐもぐ、モグ、うむこれはうめえよ、ぐるくんのかまぼこだね? しこしこして結構、結構」
 「うむ、これもシャキシャキして旨い。しかもいい香りだ」
 「それはオオタニワタリの新芽の天ぷら。庭で自家栽培しているのがあったから」
 「おう、湯気が立ちだしたら鍋からなんか飛び出てきたよ」
 「あぁ、それはわたしの入れたカメです。畑の腐葉土の下で冬眠していました」
 「おいおい、それは国の天然記念物のセマルハコガメじゃねえのかい。やばいぞ、環境省に知れたら」
 「一句できました。<闇汁のセマルハコガメもがき出し>」
 「くちゃくちゃ、クチャクチャ、なんか乙な食感だな」
 「おめえこれは、子牛用防寒着の『AGジャケット』じゃないか」
 「ジャケットはいつも腹の外にへばりついているからさ、一度くらいは腹ン中にへえりてえんじゃねえかと思ってね」
 「どうりで、ぱさぱさして旨くもなんともねえ」
 「カタログによるとジャケットの表は撥水はっすい加工した耐久性のあるナイロン生地を使用。裏面には肌に優しいソフト素材を使用していると書いてある。だいぶ煮込んだから、ちったぁ、裏地に出汁だしが沁みてるはずだ」
 「ろくなもん持ってこないね。おう、これは昆布かな? もぐもぐ、モグモグ、なかなか硬くて噛み切れねえな。ぺぇ、なんでぇ、これはベルトじゃないか」
 「誰だベルトを入れた奴は?」
 「へぇ。あっしです。『牛歩』の取り付けベルトなんですが、ふんがこびり付いてなかなか外れなかったもんだから、ナイフで切り落として持ってきました」
 「きったねえなぁ、どうも」
 「これが、本当の牛歩戦術。時間ばかりかかってらちが明かねえ」
 「もぐもぐ、これも堅いねえ。歯にガチガチ当たるぞ。あれぇ、紐が付いてクリップで留めてある。これはひょっとしたら獣医用の体温計?」
 「あぁ、この間、下痢した子牛の往診で八重山家畜診療所の宮原所長が来た時、尾毛からクリップが取れてそのまま直腸に吸い込まれたやつだ。いやね、出掛けに牛舎に行ったら、糞といっしょにり出されていたから、ついでに持ってきちゃった」
 「ますますきたねえな。馬鹿やろう何だってこんなもんまで入れやがったんだ」
 「いえね、オレ、猫舌だろう。ちょうど、42、43℃くらいが食べ頃だと思って、時々、取り出しては測っていた」
 「ちゃんと、洗ったんだろうな。ところで下痢の原因は何だったんだよ」
 「いつもの抗生物質でもなかなか治らなかったから、家保へ病性鑑定に出したところ、多剤耐性のサルモネラ菌との診断だった。何でもSalmonella typhimurium (ST)といって一番病原性の強い血清型との回答だった」
 「おいおい、STと言えば人にも感染うつる一番やばい菌じゃねえのかい? しかも、おめえ、壊れて水銀が飛び散ったらあぶねえじゃねえか」
 「体温計に入っているのは、金属水銀だから呑み込んでもめったに吸収されないから大丈夫だ」
 「おい、また恐ろっしく堅いね、しかも塩気しおっけがあって苦みもある」
 「おめえの今食っているのは『日本全薬』の鉱塩だ。料理界では『石垣の塩』がブレイク中で高くて手が出ないから、牛舎の隅に転がっているのを持ってきた。<善薬は口に苦し>てえ洒落しゃれだ」
 「しかもやけにぬるぬるしていやがる」
 「あぁ、パスツレラ症に感染していた育成牛が膿様鼻汁を出しながらずっと舐めていたやつだから」
 「どいつもこいつも物騒ぶっそうなものばかり放り込みやがって。○○さん、あんただけが頼りだ」
 「ああ、わたしはヤシガニを少し持参しました。嘉弥真かやま島産ということです」
 「ヤシガニと言えば島の珍味でキロ当たり一万円は下らないしろもんだ。さすがだねえ。見上げたもんだ。他のやつらとは心がけが違う」
 「何年振りかな、ヤシガニ食うの」
 「どれどれ確かにヤシガニの姿煮だ。でもこれ少し変な匂いしません?」
 「本当だ、なんだか妙に薬臭い」
 「○○さん、これどこでゲットしたんです」
 「『酒処 金八』の壁のガラスケースに入れられて掛かっていました。いえ、店が今日は休みというもんですから、亭主に断って一晩借りてきました。剥製はくせい用の防腐剤が注入されていますから、バクテリア・フリーで安全・安心です。もっとも後で鍋から取り出して店に返さなければいけませんが」
 「ぺぇ、ぺぇ、みんな吐き出せ」
 「しかし、何だねこんなひでえもんばかり食わされて、明日からが思いやられるぜ」
 「こんなこともあろかと思って、わたしは毒消しを入れといた」
 「ほう、毒消しですか。センター長」
 「うん、家保の又吉正直主幹の論文だ」
 「なるほど。『日本獣医師会雑誌』の別刷りですかい? 道理でどれも下らないもんに仕上がった」
                             2010年4月

 本編は敬愛する和田誠画伯の『落語横車』(講談社)掲載の「闇汁」を参考にさせていただきました。

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