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漢字で感じる人間学53(通・至誠は天に通ず)

「通」という字は「甬」(よう)に「辶」(しんにょう)で成り立っています。
この「甬」がもともとは手桶のかたちで、「甬」に「木」がついて「桶」になります。

「甬」の本質は手桶の中の空間、空洞、通り道です。

「辶」の方は動きを現します。「進」という字にも使われますね。

空間、空洞の中に動きが生まれて「通」になる。からだの「腔」のところでも触れましたが、空いているからこそ、動きが生まれる。エネルギーが通るのも同じことで、身体の中にある「空」がエネルギー(気)の流れを生み出します。

至誠通天(しせいつうてん)。「誠を尽くしてことに臨めば、その思いは天に通じる」という意味です。この言葉を説いた人が歴史上二人います。

一人は孟子。孟子は、中国の戦国時代、紀元前300年頃の人で、開祖の孔子に次ぐ儒教の重要な存在です。性善説を主張し、仁義による王道政治を目指しました。

もう一人は吉田松陰。幕末の長州藩(今の山口県)で松下村塾という私塾を開き、そこから幕末、維新の多くの重要人物が輩出されました。松陰は、幕末に大老井伊直弼が主導した安政の大獄で罪に問われ処刑されますが、松陰の志を継いだ門下生たちが、幕末から明治という激動の時代を動かしていくことになります。

松陰のエネルギーのすごさが分かるエピソードがあります。アメリカからペリーが黒船に乗って日本にやってきたとき、松陰は仲間と二人で自ら黒船に乗りこんでいき、ペリーに「自分も乗せてアメリカに連れて行ってほしい」とかけあいます。何百年も鎖国を続けていた日本ですから、当時の黒船のインパクトというのはものすごいものがありました。今で言ったら、空からいきなりUFOが降りてきて中から宇宙人が出てきて「地球の皆さん、こんにちは・・・・・・」とか言っているところに「自分も宇宙に連れて行ってくれ」というくらいの感じではないでしょうか。

残念ながら、その願いは叶わなかったわけですが、それに対してペリーは二人の行動をこう評価しています。
 
”この事件は、知識を増すためなら国の厳格な法律を無視することも、死の危険を冒すことも辞さなかった二人の教養ある日本人の激しい知識欲を示すものとして、実に興味深かった。日本人は間違いなく探究心のある国民であり、道徳的、知識能力を広げる機会を歓迎するだろう。(中略)この日本人の性向を見れば、この興味深い国の前途はなんと可能性を秘めていることか、そして付言すれば、なんと有望であることか!”
グッと身近に来る日本史

松陰が処刑されたのは30歳の時でした。短い生涯でしたが、そのエネルギーの中身、密度を考えると、何十人、何百人分もの人生を生きたと思います。

至誠通天。心からの誠意が天にまで届けば、天からのエネルギーが入って来るということです。

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