元号のおはなし(3):元号が2つあった時代のこと

こんにちはこんばんは、ナオティです。

歴史系の記事がすっかりご無沙汰になってしまいました。

あっという間に平成から令和になり、しかも令和になって今日でもう1ヶ月目です。ほんとすみません・・・。

さて元号と聞くと、日本の歴史上ずっと1つずつ連続して続いてきた(昭和→平成→令和という感じ)ものであり、同じ時代に2つ存在した(昭和時代にもう1つ別の元号があったというような)わけではないように見えるでしょう。

ところが数十年の間だけ同時に2つの元号が存在した時期がありました。

それが今から650年ほど昔の南北朝時代(1336~1392)です(一応鎌倉幕府が滅びるあたりの3年間にも2つ同時に元号がありました)。

この時代、簡単に言えば同じ時期の日本に天皇陛下が2人いらっしゃって、しかも政府である朝廷が京都(北朝)と奈良県の吉野(南朝)にあった時代でした。ちなみに北朝を支えていたのが足利尊氏が作った室町幕府で、南朝を開いたのが後醍醐天皇です。

           後醍醐天皇(Wikipediaより)

それでお互いに「うちの方が正しい!お前らニセモノ!!」と言い合っては、部下の武士たちがあちこちで戦いまくっていたというものです。

古くから元号は天皇など朝廷が決められるものだったため、自分が正しいといわんばかりにお互いに元号を独自に作ってました。例えば足利尊氏が征夷大将軍になった1338年は、北朝が暦応(りゃくおう)元年、南朝で延元(えんげん)3年という具合です。

           足利尊氏(Wikipediaより)

結局どっちも譲らずな状態だったためにこうして元号が2つ同時に存在した時代です。ちなみにこの南北朝時代、最終的には金閣寺を立てたことで有名な足利義満の計らいで終わりました。そのあとは1人の天皇陛下と1つの朝廷という状態が今に至るまで続いています(余談ですが、この時在位していた後小松天皇の子として生まれたのが、とんちでも知られる一休さんです)。

けど、考えてみたら今でもありますよね、考え方の違いで変にいがみ合って仲がこじれることって。考え方の違いだってお互いに認め合えられればいいんでしょうけど、そこは人間の心理の難しいところなのかもしれませんね。

さすがに南北朝時代の場合は皇室内部の争いや、公家と武家の争いなどがからんで、ついに日本が真っ二つに分かれて戦いまくることになって、元号が2つで迷惑するどころか、戦乱で迷惑する人たちが増えたのも確かです。

僕もなるべく小さなことでいがみ合わずに、お互い理解するように努めたいもので…。

とまあ、ちょっと個人的な考えも書いてみました。

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
またよろしくお願いいたします。


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ナオティ

フリーなライターをやっています。単に仕事だけでなく、それも含めた自由な生き方を日々模索中。現在のところ、複数のメディアと契約中で、執筆している分野は終活やビジネススキル、語彙関係、歴史関係、スピリチュアル関係などいろいろと書いております。
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