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#20 藤原直哉と昭和天皇実録を読む(昭和20年8月1日~8月9日)

藤原直哉
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※試聴版。オリジナル版(26:09)は購入後に視聴可能。

疎開中の宮内省図書寮の図書1,600余冊、編修課成績物の相当数が灰燼に帰した昭和20年8月、6日午前8時15分広島に原子爆弾が投下され、9日午前零時ソ聯軍が満州国への進攻を開始、ソ聯邦の対日宣戦通告の情報を伝えるモスクワ放送を受信します。
同日午前11時2分長崎に原子爆弾が投下、ポツダム宣言に対する態度、受諾条件について結論に至らない8月上旬です。

*一人ではなかなか読み進めることが難しい『昭和天皇実録』、藤原直哉の解説を聴きながら、だんだんと理解が深まってまいります!
実際に真ん中で何が起きていたのか、昭和天皇実録巻34昭和20年(下)について、下記のキーワードと合わせて、藤原直哉が細部まで丁寧に読み解き、歴史観も含めて音声解説(26:09 mp3版|ダウンロード可)いたします。

「昭和天皇実録」を通して、歴史の中の今を日々感じながら、過ごしてみませんか。
歴史の流れをつかみながら、現在の実生活や未来への思考・判断をする習慣を身につけてみませんか。

当時何が起こり、今の私たちに、そして未来へと結びついてくるのか、歴史の力、時間の重力がどのように働き、世の中がどのように動いているのか、一緒に学びましょう!

<第20回目>
<8月1日|水曜日>
・陸軍大臣阿南惟幾
・重慶工作
・内閣総理大臣鈴木貫太郎
・宣仁親王同妃喜久子
・崇仁親王同妃百合子
・昭憲皇太后御着用の大礼服
・空襲警報発令
・御文庫地下室御動座
・官幣大社宇佐神宮同香椎宮
・御祭文中に辞別
・敵国の撃破と神州の禍患の祓除を祈念
・ビルマ国独立記念日
・国家代表バー・モウに祝電

<8月2日|木曜日>
・侍従武官尾形健一
・航空総軍への御差遣につき復命
・東京茨城愛知大阪兵庫山口福岡熊本の各都府県下の航空関係部隊

<8月3日|金曜日>
・陸軍大学校長恒憲王
・陸軍大学兵学教官李鍵公
・陸軍大学校学生等157名
・陸軍大学校疎開先山梨県甲府市
・陸軍総長梅津美治郎
・参謀次長河辺虎四郎
・昨2日未明の八王子浅川方面への空襲
・大正天皇陵の陵域内にも約千発の焼夷弾落下
・疎開中の宮内省図書寮の図書1,600余冊
・編修課成績物の相当数が灰燼に帰す
・御文庫附属室への御動座

<8月4日|土曜日>
・外務大臣東郷茂徳
・軍令部総長豊田副武
・戦況の奏上
・大東亜戦争海軍戦時編成の改定につき上奏
・参謀総長梅津美治郎
・南方軍戦闘序列の一部更改につき上奏

<8月6日|月曜日>
・午後7時50分侍従武官蓮沼蕃に謁を賜う
・午後7時過ぎ海軍省より電話
・呉鎮守府の情報
・本日午前8時頃
・広島市上空に来襲の米軍爆撃機より特殊弾攻撃
・市街の大半が倒潰
・第二総軍参謀李鍝公を含む軍関係者が死傷
・被害甚大である旨の通報
・侍従武官府
・第一総軍
・大爆発に続いて市内に大火災が発生
・午後2時なお延焼中との情報入手

<8月7日|火曜日>
・午前1時30分頃
・同盟通信社
・米国大統領及び英国首相の声明
・8月6日広島に原子爆弾を投下した旨
・米英両国の放送を傍受
・枢密院議長平沼騏一郎
・内大臣木戸幸一
・時局収拾
・陸軍大臣阿南惟幾
・新編成部隊の装備につき奏上
・軍令部総長豊田副武
・昨6日の空襲により被災の広島市方面に対する救護隊の派遣等につき奏上
・午後3時30分大本営発表
・昨8月6日広島市が敵B29少数機の攻撃により相当の被害を生じたこと
・敵は攻撃に際して新型爆弾を使用したもの
・詳細は目下調整中である旨

<8月8日|水曜日>
・内大臣木戸幸一
・前外相重光葵
・時局収拾
・対ソ特使の派遣等は間に合わず
・日本の態度及び天皇の思召し
・国内外に示し得る環境
・皇族を煩わすべきこと
・国務大臣下村宏情報局総裁
・情報局の現状
・その他の政情等につき奏上
・今や帝国存亡の秋に直面
・至る所から聞かれる大号令という声
・和戦いずれにしても聖断を仰ぐべき時なりとする一億国民の心持ちが窺われる
・外務大臣東郷茂徳
・昨7日傍受の新型爆弾に関する敵側の発表とその関連事項
・新型爆弾の投下を転機として戦争終結を決するべき旨の奏上
・この種の兵器の使用により戦争継続はいよいよ不可能
・有利な条件を獲得のため戦争終結の時期を逸するは不可
・なるべく速やかに戦争を終結せしめるよう希望
・首相へも伝達すべき旨の御沙汰を下される
・最高戦争指導会議構成員会議の招集
・宮内省第二総軍参謀李鍝公の戦死発表
・李鍝公の遺骸は空路にて朝鮮京城府の本邸に帰着15日葬送
・ソ聯邦外務人民委員ヴァチェスラフモロトフ
・駐ソ大使佐藤尚武と会見
・対日宣戦布告書を手交
・明9日より日本と戦争状態に入ることを宣言

<8月9日|木曜日>
・午前零時頃ソ聯軍が満州国への進攻を開始
・日満両軍はこれに応戦
・午前4時頃外務省ラジオ室
・ソ聯邦の対日宣戦通告の情報を伝えるモスクワ放送を受信
・サンフランシスコ及びモスクワからの放送により参謀本部も同じく情報入手
・参謀総長梅津美治郎
・戦況の奏上
・内大臣木戸幸一
・ソ聯邦と交戦状態突入につき速やかに戦局の収拾を研究決定する必要
・首相と十分に懇談するよう仰せになる
・本日午前10時30分最高戦争指導会議開催
・ポツダム宣言に対する態度を決定したきこと
・海軍大臣米内光政
・陸軍大臣阿南惟幾
・午後2時30開会の閣議
・本日午前11時30分長崎に新型爆弾が投下されたことを報告
・午後2時45分西部軍管区司令部より
・本日午前11時頃敵大型2機が長崎市に侵入
・新型爆弾らしきものを使用したこと
・詳細は目下調査中
・被害は比較的に僅少の見込みである旨発表
・内閣総理大臣鈴木貫太郎
・最高戦争指導会議構成員会議
・天皇の国法上の地位存続
・日本軍の自主的撤兵及び内地における武装解除
・戦争責任者の自国における処理
・保障占領の拒否
・条件にポツダム宣言を受諾することを決定
・首相の発言
・内大臣から公爵近衛文麿
・高松宮御用掛細川護貞を経由して宣仁親王に伝達
・条件緩和の必要を示唆
・ポツダム宣言の受諾条件に対する宣仁親王にの懸念等につき言上を受けられる
・近衛よりポツダム宣言の受諾条件を聞いた前外相重光葵が内大臣を訪問
・現在の条件では交渉決裂は必至
・天皇の聖断により条件を決するよう善処方を切望
・午後5時大本営発表あり
・本日午前零時頃よりソ聯軍の一部が東部及び西部満ソ国境を越えて攻撃を開始
・航空部隊の各少数機が同時頃より北満及び朝鮮北部の一部に分散来襲
・日満両軍が自衛のためこれを邀え目下交戦中
・参謀総長梅津美治郎
・戦況の奏上
・対ソ作戦指導に関する関係各軍司令官への命令につき上奏
・前外務大臣重光葵
・外務大臣東郷茂徳を訪問
・ポツダム宣言の受諾の条件緩和につき尽力を依頼
・本日午後6時頃より再開の閣議
・外務大臣よりポツダム宣言の受諾のための4条件を緩和
・天皇の国法上の地位存続のみに限るべき旨が提議
・他の3条件の追加を主張する陸軍大臣
・数刻にわたり議論の応酬あり
・多数の閣僚は外務大臣の主張に賛成するも結論に至らず
・9時に閣議一旦散会
・内閣としてはポツダム宣言の受諾条件の原案
・天皇の国法上の地位存続のみに限ることに変更した旨の情報につき言上を受けられる
・外相より現在までのポツダム宣言の受諾条件をめぐる議事の経緯につき説明を御聴取
・首相より最高戦争指導会議への親臨につき奏請を受けられる
・最高戦争指導会議への親臨に関する内閣上奏書類を御裁可
・枢密院議長平沼騏一郎を同会議に参列せしめることに関する内閣からの願い出を御聴許

◎昭和天皇実録とは◎
昭和天皇の生涯にわたる記録を公式にまとめたものです。
どういう風に昭和という時代が動いていったのか、私たちが未来を考えていく上で第1級の資料です。
昭和20年は、8月15日を境に、ものすごく世の中が変わった劇的な年です。
その昭和20年(昭和天皇44歳)を何回かに分けて、読んでまいりましょう。

◎音声ダウンロードファイルのお取り扱い◎
弊所の許諾なく無断で改変・複製・公衆送信・転載・販売等することは、営利目的、非営利目的問わずご遠慮ください。

70年以上前の日本、1945年(昭和20年)の8月と、私たちが生きている2017年(平成29年)の8月、そして、10年後、50年後、100年後の未来がどのようにつながるのか、日々感じながら、この1年を過ごしてみませんか。

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