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拉麺ポテチ都知事48「渋谷ツタヤ最後の日」

SHIBUYA TSUTAYAが全面リニューアルするらしい。タイトルを見て「改装するだけであって閉店しないぞ」と思った人も多いと思う。しかし間違いではない。この題名は私にとっての「SHIBUYA TSUTAYA最後の日」なのだから。

実は大学を半年留年を経て卒業し、SHIBUYA TSUTAYAで1年ほどバイトしていた。聞くところによれば求人倍率は高かったようである。私がなぜ選考を通過したかは定かではない。今思うに「好きなジャンルはジャズ」と書いたことと、その割に気難しいキャラでなかったことが功を奏したのだろう。昔から面接だけは強くて落ちた記憶がない。

SHIBUYA TSUTAYAは系列で最大の直営店で、個人がすべてのフロアをカバーする他店と違いワンフロア専業である。私の担当は日本で最も品揃えが多い3FのCDレンタル階。あの広い売り場のなかで右往左往しながら、波のように貸しては返される円盤の波にさらわれる日々だった。

この仕事を選んだ目的は福利厚生として得られる格安レンタルだ。なんと100円以下。入りたての頃は悪の帝王ばりに「フロア中の音楽を聴き尽くすのだ、がはは」と意気込んでいたが、結局ジャズコーナーの制圧さえもできずだった。サブスク時代を待たずして思い至ったのは夏目漱石「三四郎」の図書館での失望のように、個人が世界中の音源を”聴く”ということの不可能性である。

借りてきたCDをPCに取り込む、ということすら懐かしいが、結局データをいくら食らったところで私の耳の胃袋には入り切らなかった。早送りのできない「音楽を聴く」という行為はひたすらにタイパが悪い。ていうか悪すぎ。消化にそれなりの時間が必要だからこそ、音楽は早送りの現代へのアンチテーゼとなり得るが、そのウラシマ効果で私は何もせぬ間にアラフォーになってしまった。

また芸人の綾部祐二氏(ピース)と自分がそっくりだと知ったのもTSUTAYAである。どれだけ似ているかといえば、実際に来店した綾部氏を私と間違えた同僚が「お疲れい」と声をかけてしまうほど。その話を聞いて、ひとしきり笑った後に「お疲れいじゃねえよ、まだ『お疲れさまです』にしとけばこんなことにはならなかったのに。一般人と間違えられることほどの屈辱はないぞ、芸人にとって」と倒置を以て説教したが、結局「ドッキリなのでは」という不安に取り憑かれた綾部氏は、必死に店内にあるはずもない空想の監視カメラを探し続けたという。

さらに2011年の東日本大震災の前後も働いていた(当日ではない)。棚が倒れて大変だったと聞いたが、「意外と営業できるものなのだなあ」と感じたのを覚えている。特に印象的だったのは音楽を流すことがさも不謹慎とでもいうように店内のBGMが消えたことだ。代替として響いたのは空調の低音と渋谷のヤベえ人の独り言である。あれは店舗史上、最も不穏な空気ではなかったか。

何かが見えているであろう彼が発する「見てんじゃねえよ」「おい!」などの怒号のなか、私は「音楽は非常時に消さねばならないのか」と残念に思いつつ、むしろトラブルの時こそ音量を上げて物騒な音をカバーする役目を担ったキャバレーの箱バンドに想いを馳せるばかりだった。時に有事こそ音楽は有要有急だったりする。

それ以外にも莫大なTポイント保持者に使用を勧めてブチ切れられたり、Perfume「Fake It」のイントロにブチ上がったり、メタルにまったく疎い私に同僚が教えてくれたマーズ・ヴォルタに感動したり、Kポップアルバムの限定パッケージをめぐる店員とファンの攻防戦を目撃したりなど、思い出は数限りないのだが、それはさておき話をタイトルに戻そう。

SHIBUYA TSUTAYAのレンタルフロアには、いや少なくとも当時は「辞めるスタッフの最終出勤日にフロアのBGMをすべて任せる」という謎のしきたりがあった。これが本題である。あれこれあり、CDの大海原を揺られることに疲れた私は入店から1年ほどで退職を決意し、いよいよラストデイを迎え、“儀式”に取り掛かろうとしていた。

BGMに使えるCDは5枚。当時の私はジャズと菊地成孔氏に傾倒していたので、ほぼほぼその傾向での選曲だった。正確にどの曲をかけたかは覚えていないのは残念だが、菊地成孔×UA「Honeys and scorpions」菊地成孔ダブセクステット「Invocation」、SOIL&"PIMP"SESSIONS×椎名林檎「MY FOOLISH HEART~crazy on earth~」は確実にかけたはず。

5×4のクロスリズム×2種類/クラブジャズの歌ものと2011年において尖りつつもお洒落なセットリストだったと思う。

しかし、23歳の私は単によい雰囲気を演出してスマートに終始するほど大人ではない。野心を燃やす若造は残る2枚で爪痕を残そうと、まず少々ダークなマイルス・デイヴィス「Rated X」を投下。すると、どこか非日常を演出しつつもお洒落といった感じの雰囲気は明らかに崩れていった。

もちろん想定の範囲内である。にも関わらずオルガンのイントロから私はひるんだ。というのも思った以上に音像が暗すぎたからである。「さすがにやりすぎなのでは…」と内なる小池Aが左から、「まじでセンス疑うわー」と内なる小池Bが右からささやく。それを打ち消し「大丈夫だ」と自分を励ましていたが、爆弾をしかけるテロリストはきっとこんな心境なのだろう。

とはいえ、BGMにメモリを奪われた結果レジのパフォーマンスは半分ほどに落ち、「いらっしゃいませ!こんにちは」という挨拶さえままならなかった。ただでさえ活舌が悪く、通らない声なのでそれはひどいものだったはずだ。まあ、若かりし日のメンタルタフネスなどそんなものである。

しかし私はそれを回収するための楽曲もしっかり用意していた。もちろん試算上。それがあゆだった。

浜崎あゆみ、私の青春。それについてはまたいずれ書きたいが、私の予想によれば調性希薄でダークな音に続き、調性バチバチで明るい音が響くことで売り場に爆笑くらいの気持ちでいたのに、不穏な空気は依然として店内に満ちている。思わず赤面した。そしてレジで盤の傷や歌詞カードを確認する手が震えだす。まるで自分が震災の時のヤベえ人のようではないか。こういう時にバンドの鼓舞が必要だ。演奏を止めるな!!!音量を上げろ!!もっとホーンをブロウせよ!!!!!!

敗北感から脳内が突然JBになってしまうほどの混乱ぶりである。そんな私を横目に、あゆの歌うサビのリリックが響いた。それもあまりに逆説的に。

“輝きだした僕らを誰が止めることができることができるだろう/輝きだした彼らを誰に止める権利があったのだろう”

どう考えても、輝いてない私の選曲を誰かに止めてもらうべきだっただろう。

そこで得たのは、DJや論理的な文章、説得、交渉、恋愛にまで及ぶ、ありとあらゆることにおいて「流れが大切(崩す場合もロジックがいる)」という、あまりにシンプルで、あまりに重要な教訓だった。どんなに尖りたくても、ただの羅列では意味がない、そこには何かの軸が必要だというファクトは今の創作やパフォーマンスに強く生きている。

これが私のSHIBUYA TSUTAYA最後の少々悔いの残る思い出だ。優秀な音楽ライターにはディスクユニオンとか、どこどこのレコード店で働いていたという経歴の人がちらほらいる。それは高尚で嫉妬してしまうが、それよりも猥雑な品揃えや来客だったに違いない「SHIBUYA TSUTAYAにいた」という出自が私にはぴったりなのかもしれない。


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