memo 20221201

ここ5,6年考えていたことに進展があった(気がする)ので、心持を書き留めたい。

・全ては意味がない
→何を意味とするか+俯瞰と没入の問題
 ex)ロゴ、ラカン、デカルト、ショーペンハウアーあたり
⇔意味の自我vs無限後退

→結局、プロセス神学的な。
⇔わかっとるvs無限後退

→再度、プロセス神学。しかし再度、わかっとるvsプロセス。以下、後退。
→選択肢は2つ。
①宗教(ロゴ=意味=上位概念:碇)
②プロセス

→結局①=② 日本では「理」と言う。または「道」。

→結局、プロセス神学かいな。しかし、この差はでかい。
以前:無限後退的なプロセス
今:理の探究というプロセス 後退しない≒(型はないが)型がある。皆が歩んできた歴史もある。 


これからは「理の探究」をしよう。=今までもしていたが型性を帯びた。具象性というか。手触り感。しっくり感か。良い思い込み。
←自分の経験(感性、信仰)が、価値と意味を肯定する。故に後退しない。
 ex)宮本武蔵、BUMP ⇔ 運動力学、Peloton:実際に動くこと、受動意識仮説
  ここが繋がったのがデカい。

今思えば、もともと自分には価値があったし、信仰があった。流れ星。細田守的なのもそうかな。


→総じて、理の探究。中身は何でもいい。 ex)ピアノ、妄想、予想、物理学…etc

真ん中、ということで。

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