タカハシと僕 (6/17章)

 オフィスビルに入っているコンビニでいちばん忙しいのは大抵午前中ではないだろうか。一日の中で客数が最も多い昼ピークに向けて弁当などの生鮮食品の納品をさばき、揚げ物などの店内調理の総菜を大量に準備しなければならないからだ。作業が遅れれば昼には大量のお客が来てどうしようもなくなるから、一通りの作業が終わるまで従業員たちは店内を緊張した面持ちで忙しく動き回る。
 朝8時、店の前の横断歩道の向こう側に暗い顔をした人々が溜まっていく。彼らは平日の決まった時間になると現実世界を生きることの不幸を知らしめる使者のように、必ずそこに現れた。信号が青に変わると人々は規律正しい軍隊のように一斉に動き出し、横断歩道を渡って真っ直ぐにこちらに向かってくる。やがて、競っているかのように早足で歩く先頭のひとりふたりが店の前を通過したと思ったら、あっという間に店の歩道に面したスクリーンガラスは集団がまとっている暗い色で埋め尽くされる。彼らは店の入口から店内にどんどん侵入してきて、店の中も彼らの陰鬱さに占拠されてしまう。
 彼らは「お前のせいだ」と言わんばかりの勢いで不機嫌そうにレジまでやってくると、ペットボトルや紙パックの飲料をレジ台の上に置いて、無言のうちに従業員に「早くしろ」とプレッシャーをかける。レジに立つ時、僕ら従業員は基本的に人間であることを求められていない。だから、慣れた従業員は彼らの幼稚な八つ当たりを気にせず、平然とレジを操作して会計を済ませる。僕らの方でも彼らのことをまともな人間だとは思っていないのである。
 9時を過ぎてレジの釣銭確認を終えると、レジに勢力を集中させていた従業員たちは順次、予め割り振られた持ち場に散らばっていく。朝勤務の社員は一日の休憩の半分をこのタイミングでとることになっていたので、僕は一緒にシフトに入っているヨシダに「休憩どうする?」と聞いた。すると、ヨシダが「これから飲料の補充やるんで、お先どうぞ!」と答えたので、僕は「悪いね」と言って先に休憩をとった。
 
 休憩から上がってレジカウンターに入ると、イチカワから「猫は総菜!」と指示を受けた。僕は使い捨てのコック帽を被って調理の準備をする。僕は準備をしながら、レジに立っているイチカワの方を盗み見た。彼女はレジに立ってお客の相手をしながら、合間にレジ袋や箸・ストローなどの消耗品をレジカウンターの中に補充していて、今日は機嫌が悪そうだった。朝ピークの後で出勤してくるイチカワは朝は機嫌が悪いことが多く、そんな時はほとんど周りと話をしない。僕は彼女の不機嫌な様子に注意しながら、パック売りの総菜をフライヤーで揚げる作業にとりかかった。  
 30分が経過して、ヨシダが休憩から帰ってきた。すかさず、イチカワが「ヨシダは私と代わって!」と指示を出す。ヨシダは「はい!」と素直に答えて、彼女と代わってレジに入った。僕はイチカワがレジ横で売る揚げ物を作るためにフライヤーを使い始めるのだと思って「今揚げてるこれが終わったら、イチカワさんフライヤー使って大丈夫ですよ」と彼女に伝える。イチカワはにこりともせずに真っ直ぐにこちらを見て、短く「ありがと」と答えた。
 10時を過ぎると、お客の波はほとんど落ち着く。作業は相変わらず詰まっているが、特に人員に不足がなければ、従業員たちも気持ちに余裕が出始め、イチカワも機嫌良く他のスタッフと話をするようになってくる。お客のほとんどいない店内のあちこちで会話が生まれ、緊張が和らいでいく。店の雰囲気はイチカワの機嫌に大きく左右された。彼女の機嫌が良い時は他の従業員も楽しそうに会話をしたが、彼女の機嫌が悪い時はまるでその機嫌の悪さを邪魔することを恐れるように、他の従業員は会話を慎んだ。
 イチカワの方でも当然のように自分の機嫌を上下させて、それを隠そうとしなかった。彼女は自分の機嫌の良し悪しを周りの従業員に押し付けて悪いとも思わなかったし、そのような彼女の子供っぽい振る舞いを僕を含めて誰も注意しようとはしなかった。イチカワに対する特別待遇は僕がこの店に配属された時から既にそうで、「イチカワはそういうひとだから」という風に許されていた。僕も周りがなにも言わないのを押しのけてまで彼女に注意しようとは思わなかった。
 加えて、旗艦店であるこの店にはチェーン本部の人間が数多く訪れたが、この店で長く働く彼女はその中に知り合いも多く、彼女が本部の社員とレジ越しに親し気に話しているのを見ると、この店で働き始めたばかりの従業員は自然と「イチカワは本部の人間にも認められているのだ」と思った。イチカワはよく「あのひとは~部の部長で、あのひとは~で」と、頼みもしないのに親切に説明してくれたし、彼女の方でも本部社員に知り合いが多いことを得意に思っているようだった。
 イチカワが「ヨシダ!焼き鳥焦げるよ!」と言って、スイッチがオンになったままのホットプレートから焼き鳥を上げてホットショーケースの中に並べた。ヨシダはお客の相手をしているうちに焼き鳥を焼いていたことを忘れてしまったらしく、「すみません、ありがとうございます」と言った。機嫌の良いイチカワは「もうー、ほんとヨシダは忘れっぽいんだから!」と冗談めかして彼のことを叱った。ヨシダはいじられて楽しそうに笑いながら「すみません!」と言って、焼き鳥を焼く作業に戻った。
 時刻はいつの間にか11時を過ぎて、店内にお客はほとんどいない。嵐の前の静けさと言った感じで、11時30分を過ぎて店と同じビルに入っている会社が休憩時間に入ると、一気に忙しくなる。それまでに僕らは昼ピークを迎える準備を完了しなければならなかったが、今日は作業が順調に進んで、残りは最後に出来上がる揚げ物と焼き物をホットショーケースに並べるだけだった。その時、ヨシダと一緒にカウンターフーズを作っていたイチカワが「ちょっと外すねー」と言って売り場を僕らに任せて、バックルームに入っていった。

 朝からシフトに入っている従業員は店が混み合う前のこのタイミングで水分補給やトイレを済ましたが、イチカワは用事を済ませてもしばらく戻ってこないことが多かった。時間にしてみれば5分か10分くらいのことだったと思う。彼女はこの時にバックルームで1時間の休憩をとっている別のスタッフと昼ピークの従業員の配置について打ち合わせをするのだ。誰をどこに配置するのかということは1時間に400人近くのお客が来店する昼ピークを円滑に乗り切るためには馬鹿にできないことで、ベテランのスタッフを作業が多岐に渡るポジションに配置することから、トレーニング中の従業員に慣れないポジションを経験させることまで考えられる要素はいくらでもあった。
 レジが4台あって従業員が6~8人もいれば、選択肢は何通りもある。適当に配置して済むものでもなければ、慣れない従業員に「考えて」と言ってすぐ考えられるものでもなかった。そして、イチカワが考え出す配置はいつでもある程度合理的で説得力のあるものだった。仮に、他の従業員が疑問や別の案を提出しても、彼女はその選択をしたもっともな理由を持ち前の頭の回転の良さと気の強さを以って打ち返し、異を唱えようとした従業員を圧倒した。
 しかし、問題はイチカワが必ずしも職業的責任意識だけからそうしているようには見えないことだった。彼女は確かに責任感も強かったが、彼女にとって本当に大事なのは自分が有能でいられて誰からも頼られる、気持ちの良いポジションに居続けられることであるようにも見えた。彼女は自分の地位が脅かされることを無意識に恐れているようだった。誰かが自分の意見に少しでも対立するようなことを言えば即座に機嫌を悪くしたし、態度を急変させることで自分に挑戦してきた相手を徹底的に威嚇した。
 イチカワは手洗いを済ませ、楽しげな笑い声を含むバックルームでの「会議」を終えて機嫌も良さそうに売り場に戻ってくると、「こんな感じでいいよね?」と言って従業員の配置を僕らに伝えた。売り場に残っていた僕らは彼女の指示に対して意地を張って逆らうようなこともせず、素直に与えられた持ち場に着いた。

 11時30分を過ぎてワイシャツ姿で社員証を首にかけた会社員がひとりふたり店に入ってきたと思ったら、あっという間に店は混み合い始める。同僚と連れ立って来店し弁当売場の前に立って昼食を選ぶ彼らは、まるで学校の授業から解放されたこどもたちのように上機嫌だ。僕らは大人しく会計を待つ彼らの律儀で長い行列を出来るだけ早く流せるように、レジカウンターの中をスポーツの試合でもしているかのように機敏に動き回る。
 弁当をレジに通して電子レンジで温め、お客がお金を財布から出すのを待っている間に別のレンジで温め終わった弁当を袋に詰めて別のお客に渡す。カウンターフーズの注文があれば「~お願いしまーす」と言って他の従業員にとってもらうかもしくは自分でとってきて、お客の列が途切れた隙を逃さず売場に出て商品の陳列を直し、またレジカウンターの中に戻ってレジに入っているスタッフのサポートをする。ベルトコンベアに乗った工業製品のように次々とレジにやってくるお客を「いらっしゃいませ」から始まり「ありがとうございました」で終わる決まりきった接客用語を連呼しながら、こちらも機械のように動いてお客を店外へ流し続けていると、1時間はあっという間に過ぎてしまう。12時30分を過ぎたらコインカウンターをレジの上に載せてお客の相手をしながら隙を見てつり銭を積み上げいき、レジごとに会計の誤差をチェックする作業を進める。同時に、レジのサポートに入っていた従業員はレジカウンターの中から売り場に出て商品の補充へ向かう。
 お客の流れは細かく見れば毎日異なり、「少ないな」と思ったら一気に増えて、行列がいつもの時間を過ぎて続くようなことがざらにあった。加えて、商品の取り置きや店内調理の総菜のまとめ買いの予約、その他、実験店としてのイレギュラーな業務などその日ごとに違う特別な業務を抱えていることも多かった。そこに従業員の欠員なども加わったので、常に状況が変化していくサッカーの試合のように適時・適切な状況判断が求められた。そもそも、毎日やらなければならない作業も当然のように詰め込まれているから、とにかく余裕がある時に先手を打って先の作業を少しでもつぶし、従業員の休憩のタイミングを調整したり、場合によっては優先順位の低い作業を省くか次のシフトに回すことで、なんとか必要な作業を終わらせる。
 三交代制でその都度異なるシフトに入っている社員に比べて、毎日同じ時間に入っているスタッフの方が決まった時間帯の流れに関しては詳しくなっていく。しかも、毎日、一日の主要なポイントで従業員に指示を出し続けているのだから、イチカワは判断力と発言力において日中の時間帯では最強だった。

 昼休みを過ぎて一時間もすると客足が落ち着いてくるので、従業員の休憩を回していく。今日は特別なトラブルもなくいつもの平日を無事に終えることが出来そうだった。直営店であるこの店ではアルバイトには休憩時間を必ず消化してもらっていたが、社員は店が忙しければ休憩をある程度省略してしまうこともあった。しかし、今日は社員も順調に所定の休憩時間を確保できそうだった。
 ヨシダやイチカワ、他の従業員に先に休憩をとってもらって、僕は最後に休憩に入った。15時を過ぎて売り場に戻ってくると、店内からは昼間の喧騒が去ってすっかり落ち着いていた。昼と夕方のピークに挟まれたこの時間はお客が少なく、朝勤務と昼勤務のシフトがかぶっているので従業員の数が充実していて、作業量も少なく余裕があった。朝から勤務している従業員にとっては勤務時間の終わりが間近に迫った時間でもあったから、滞りなく作業を進められた日には、無事に一日を終えられたことへの達成感に満ちた幸福な雰囲気が店に流れた。彼らは外から漂ってくる日暮れの気配の中で各自の作業を誰かに急かされることもなく協力して進め、お互いの健闘を称え合った。
 ヨシダはイチカワと一緒に納品されたばかりの弁当や生鮮食品などを売場に並べていた。ふたりは冗談交じりに話をしながら、手際よく商品の詰められたケースを空にしていく。僕はふたりを手伝って空のケースを積み上げて倉庫まで運び、商品が残っているケースの中から厨房の冷蔵庫に入れる食材をとってカウンターの方に向かった。
 食材を冷蔵庫にしまって売り場に戻り納品が全て片付いたことを確認すると、僕はヨシダに「キリが良い所でミーティングやろっか」と声をかけた。ヨシダは「わかりました!」と答えて事務所の方に向かっていく。所定の勤務時間は過ぎていたが、朝勤務と昼勤務のシフトが被っているこの時間を利用して社員間で週次のミーティングを行うのだ。
 僕がバックルームに残っていたイチカワに「昼勤の社員をちょっとお借りしますね」と伝えると、イチカワは「レジ混んだ時は呼ぶから来てね!」と言って売場に戻っていった。 僕もミーティングをする事務所に向かった。

 

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

恐れ入ります、中吉!
2

熊瀬川直也

タカハシと僕

『タカハシと僕』という小説を書きました。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。