時代も土地の空気も遠すぎる

話題にならざるを得ない離婚にまつわるニュースを、たまたま目にしてしまった。
地元紙の方のコメントに、あ然とした。びっくりした、この感情が端的に言い表せなくて、共感ゼロいやむしろマイナスになりそうレベルすぎて、ここに書き出してしまった。
いつの時代にこの感覚なの、でもきっとずっとこの感覚は変容されないのかもしれない。
その地域でも大多数が同じ見解かどうかはわからないけれど、絶対にそこでは暮らせないなと感じた。

個人情報がどうとか知らないんですかなんて、たぶん通じなくて。お祝いごとを祝ってどうして悪いのだとか、女性を隠すことを女性蔑視だなんていう発想が出てくる時点でその人の中に見下す気持ちが存在するからじゃないかと思ってしまった。
こういう発言をする人で、本当に性別も年齢も立場も関係なく人を大切にしてくれている人を見たことがない。

相手を大事に思うから、言わなかった。
言わないことで生まれる混乱や批判や動乱のようなものさえ理解して、だからこそ守るために隠したんだと思った。
そこがどんな場所であるかを、混乱のカオスの中で戦ってきた自分が一番良くわかっているから、そうしたんだろうと思った。
それでも結婚をして、結婚したことを発表したということがどれほど愛の証明かと思っていた。

婚姻関係を解消するに至った理由も、たぶんもっと語ることのできない何かがあるのだろうな。本当のところなんか、きっと語ることも難しい苦しいことがあったはず。
その一端すら知ることもないし、報せてほしいとも思わない。本当に個人の大切な部分のことなのに、なぜ縁もゆかりもない外野がこんなに勝手にしているのだろうか。
こわすぎる。
想像力の欠如にも程があるだろうに。

熊の件も、同じエネルギーなんだろうなとすら思ってしまった。ひとっつも関係ない、命の危機なんて心配する必要のない遠く遠く離れた外野が、わざわざ騒ぎ立てる。
本当に、わざわざ。

わざわざ言わなくていいことを言うから、余計なことをするから。

おせっかい、とも言えないよなぁ。
距離感のバグ?
テレビやスマホが高画質化したことで、まるで自分の身の回りに起きてるような、当事者感覚になりやすくなったの?
LINEをするように、同じ画面で同じ文字で見るSNSが、自分にだけ語られているような錯覚を起こしやすくなる?

勘違いしやすくなった時代性なのか、表面化しやすくなった仕組みのせいか。
教室で、お茶の間で、立ち話で出てくるえげつない無自覚な毒の悪意が、簡単に拡がるようになってしまったのはわかるけど。
簡単に鋭利に飛んでしまうことをわからない人の多さが、本当にこわい。

物事の仕組みを知らないせいもあるけれど、わからなかったんだもんと被害者アピールはもうダメですよ。知らなかったんだね、では済まされないのが本当に今の時代。
わからないからこわくて近寄りたくないとSNS全般を忌避している人もいるけど、もうさすがに無理だなあと。

どんどん老化していく自覚と、学び続ける努力を忘れない。

変な感想だ。

ただただ、これからも幸せに穏やかな時間が2人におとずれますようにと思います。
どんな決断も判断も、それが正解だったねと後年言い合えたらそれが一番だと思います。
世界中の意見も慣習も関係なく。
(いやもちろん守るべきルールはあるだろうけど)(でもどんな法律もルールも超越した関係っていう幸せがあることもあるだろうけど)

人を幸せにできる才能と人望あるおふたりなら、きっと大丈夫。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?