見出し画像

一人に伝えることができないなら、大勢に伝えるなんてできないと痛感した。

私は、テキストコミュニケーションが大の苦手です。

LINEもチャットワークもスラックも、自分の思ってることが相手に全く伝わらない場面がたまにあると感じています。口で身振り手振り話した方がどう考えてもスムーズ。
(プライベートは別の話です。)

とはいえ、電話が嫌いだったりもします。

私はそもそも相手に何かを伝えることが苦手なんじゃないか。そんな奴が、企画書で心なんて動かせないんじゃないか。そんな風に、言葉の企画を通じて感じてしまいました。

その現実を打開するために、宣言します。

「今日から、画面の向こうの人にラブレターを送り続けます。」

テキストコミュニケーションと企画書の違い

テキストコミュニケーションと企画書って、「話さずに伝える」という部分ではおおよそ同じなのかなと、一回目の講義を聞いて感じました。
企画書を作ることに対して苦手意識が無い私は、なんでテキストコミュニケーションが苦手なんでしょうか。

企画書とテキストコミュニケーションは何が違うのでしょうか。

①文章だけかどうか

元々、文章にも苦手意識はずっとありました。言葉の企画の課題であった自己紹介でも、ほとんど文章は使っていません。

文章が苦手な故、テキストではなく別の表現で伝えることをライター時代からずっとしていました。「文章では周りに勝てない」と、当時から思っていたからです。

テキストでは、会ったことない人に自分のことを伝えるのが難しいと知っていたから。自分が得意な表現で、自分のことを伝わるように表現しました。(ほかにも理由はありますがここでは割愛)

②かけることができる時間が違う

テキストコミュニケーションは言いたいことが思うように伝わらなく、周りに迷惑をかけているので苦手意識があります。

ここで、何で伝わらないのかを深掘りしていくと、則レスを意識しすぎて受け手のことを考えられていないからなのかな。と感じました。

かけることができる時間が企画書と違うところ。企画書はある程度の時間をかけて、相手にどうやって想いを伝えるかをじっくりと考えることができますが、テキストコミュニケーションでは、長くてせいぜい24時間以内くらいじゃないでしょうか。

短時間で相手に想いを伝えることが今の私にはとても難しいのです。

企画書は「こうだったら伝わるかな~?」「このお客さんだったら、こんなことも書いてあげないと伝わんないよな~」とか、いっちょ前にいろんなことを考えて作るのに、テキストコミュニケーションになったとたん受け取りてのことを考えることができなくなっているんですね。特に、社内のコミュニケーションだと余計に。私のコミュニケーションには、「応用力」が無いことに気づきました。

表現方法でも「伝え方」は変わってくる。
相手によっても「伝え方」は変わってくる。

画面の向こうの人の気持ちを、考えられなくなっていました。

言葉選びへのこだわり

言葉の企画、第一回目を終えて一番に思ったことがありました。
阿部さんから発信される一言一言、一文字一文字から、「あ~。これは意図があってこういう表現にしているんだな」と感じる場面がたくさんありました。

講義の中でこんな場面がありました。

怖いその生き物(ライオン)に、「ライオン」と名付けることで
ライオンと闘うことができる。

漢字としては、「戦う」の方が、一般的に多く使われる文字ですが
阿部さんはここで「闘う」を選択し発信しました。

なんとなく私の中では、「戦う」は武器で攻撃し合うようなイメージがあり、「闘う」は苦手なもの(実体がないものも含む)に、立ち向かったりすることを指すイメージがありました。

実際はどうなんでしょうか。辞書で「たたかう」を調べてみましょう。

「戦う」は“戦争する。勝ち負けを争う”の意。「敵国と戦う」「選挙で戦う」「優勝をかけて戦う」  「闘う」は“困難などを克服しようとする”の意。「労使が闘う」「難病と闘う」「暑さと闘う」〔ともに「格闘する・争う」意で用法も似ているが、「戦う」の方をより広義に用い、「闘う」は「格闘する」意に限定して、比較的小さな争いに用いられることが多い。また、比喩的に、見えないものとの精神的な争いにも「闘う」を用いる〕
戦う・闘う(たたかう)とは - コトバンク

同音類義語の微妙なニュアンスの違い。

日ごろから自分はここまで言葉の隅々まで意識なんてしていませんでした。むしろ失言をしてしまい後悔している毎日かもしれないです。

そんな奴が誰かの心を動かす企画なんて考えることはできない

自分がすぐにしなきゃいけない努力ってこういう細かなことからなんじゃないかと心から思ったんです。テキストコミュニケーションはTwitterのように思ったことを垂れ流すだけではダメなんだと。

たった一人のことを考えて伝えることができない私が、企画や新規事業を考えていることに恥ずかしくなってしまいました。

「面白い企画が考えられるようになりたい!」

もっと先にやることあるだろ。

言葉の企画に申し込むことを決断した自分をぶんなぐってやりたい気持ちになりました。が、言葉の企画に参加しなかったらこんなことにすら気づけてなかったと思うと、こんな私でも参加した意味はあったのかなと思いました。

ただ、気づけただけで何もしないのは普通の人だと思ってます。

もう今すぐに、今すぐ。今日の仕事から。
シンプルに伝わるかどうかを考えて。

企画書は「ラブレター」と誰かが言うのであれば、
私は画面の向こうの人に「小さなラブレター」を送りたいと思います。



この記事が参加している募集

イベントレポ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?