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ささやきの小径の先に

春日大社の境内の中に、静謐な森林の小径がある。

「下の禰宜道(しものねぎみち)」
通称「ささやきの小径」と呼ばれる道だ。

この道に一歩足を踏み入れるだけで、
観光客で溢れかえった落ち着きのない雰囲気から脱することができる。

馬酔木(あせび)と呼ばれる木が生い茂り、陽の光を遮って美しい木陰を作っている。
涼しい風が通っていて、小川の水の音も清らかだ。
訪れたのは8月下旬だが、汗ひとつかかなかった。


この小径をまっすぐ進むと辿り着く場所がある。

志賀直哉旧居だ。

かねてから、志賀直哉旧居には訪れたいと思っていた。なぜなら彼は私と同じ、奈良移住者だったからだ。

奈良の古い文化財や自然の中で、自らの仕事を深めていきたいという希望の元、昭和4年から昭和13年の約10年間、自身の設計したこの屋敷に住んだのだ。

志賀直哉旧居に吸い込まれる様にして入って行き、感じたままを筆に取った。

はじめて来たとは思えないほどに、懐かしく落ち着く。
はじめて見る客室の間取りも、窓からの景色も、机も、観音様も。
良く見る数寄屋造の部屋だからという普通の既視感ではなく、「懐かしい」と特別に安堵するような独特な既視感だ。

今日は一段と涼しい夏だ。
夏の終わりが来ていると感じさせる柔らかい風が、客室の窓からふんわりと私の身体を通り過ぎていく。心地が良い。

池の中に咲く蓮は見頃を終えたのか。
黄ばみがかった葉が、花をつけていた全盛期の名残を残し、空の方へ伸びている。

これから盛りを迎えるのだろうか。
池の脇に立つ柿の木には、黄緑色のまだ小ぶりな柿が実っている。

窓から一番近い木には、黒と黄色の身体をしたトンボがじっと止まっている。この客間に落ち着き、窓脇に座り込む私と君は似ている。

実際には少し遠いが、手を伸ばせばすぐ届きそうなほど近くに見える春日原始林を覗きながら、この旧居に足を運んだ文化人たちのことを想う。

彼らはなぜ奈良へ来るのか。
文化と歴史と自然を仰ぐには好すぎる立地のこの旧居へは、どんな想いを胸に訪れていたのか。
友情か、学びか、恋慕か。

私もかつて、その一人だったのかもしれないと思うほどに、この旧邸が好きで好きで堪らなくなる。

また時を経て、来るべき所だと思った。
もう誰もいない、何も言葉で語り掛けて来ることはないこの旧居だが、来ればこの旧居が纏う記憶が何かしらのヒントをくれる気がするのだ。

彼は後「奈良の古い文化や自然の中に埋没して、時代遅れになろうとしている自分を見、かつまた子供の教育を考え、東京へと居を移したのである」。

私はこれからどうなっていくのだろうか。

帰りには、もう一つの異なる小径を歩きながら、自分の道について考えた。


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