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奈良に住みたいのか、鹿のいるところに住みたいのか

私の故郷は奈良である。今は東京に住んでいる。

そう聞くと、東京に憧れた地方民の上京というよくあるパターンを思い浮かべる人が多いのではないかな?でも私に関しては120%違う。今まで東京で暮らしたいと思ったことはないし、これからもない。

東京に暮らしたいのはあくまで妻である。妻には逆らえない。ゆえに東京で暮らすのである。妻が東京を好む理由は、妻が幼少の頃よりとある国の都会でずっと暮らしてきたから田舎は嫌だと言う。のんびりしていて良いのにと私は言うのだが、むしろそれが嫌なのだそう。

私の故郷の奈良は、のんびりした田舎そのものである。一応県庁所在地だし最寄駅のJR奈良までは徒歩数分だ。映画館は無いけど奈良の中では比較的都会…。と言うといつも奈良自体が田舎だからとの反論にあい、ぐぅの音も出ない。

それなら攻め方を変えて「いつでも鹿に会えるぞ、素晴らしいぞ」と言ってみるが、「私、犬派なの」と言って素っ気ない。鹿を除けば私は猫派なので、全く意見が一致しそうにない。つらい。別に犬を飼ってるわけではないし、これからも飼う予定はないのだから、いつでも触れ合える鹿がそばにいるのは良いことだと思うのだが理解を得られない。

正直そこまで鹿にこだわるなら奈良ではなく宮島でも良いのでは?という意見もあろう。仕事があるかは脇に置くとして、宮島は確かに良い。

お辞儀をしないし、餌をあげられない点で奈良の鹿と文化的な差があるが、触れ合えることは間違いないし、触れれば触れただけ癒される。ちょっとゴワッとした冬毛、斑点が鮮やかなサラッとした夏毛。どちらも捨て難い。鹿はどこでも鹿である。そしてオールシーズンウェルカムだ。

この前、宮島に行った帰りに奈良に帰省して、利き鹿もしているから、この私の意見はかなり説得力があると自負している。

つまり私は奈良に住みたいのではなく、鹿といつでも触れ合える場所に住みたいのではないか。

そう考えると、この東京の地に鹿を解き放ってくれたなら、私たち夫婦は折り合えるはずだ。奈良や宮島にできて東京にできないことはないだろう。

もし、東京で鹿を放し飼いにすることを公約に掲げてくれる知事候補がいれば、私の票は間違いなくその人のものである。いや、あまねく鹿付きの票が集まることだろう。鹿好きの票田。これはきっと政治家にとって無視できないボリュームなのではあるまいか。

いや、でもやはり奈良だからこそ鹿が映えるという気持ちもある。若草山、東大寺、春日大社に奈良公園。鹿の美しさはこれらの風景が支えている。そうすると、やはり鹿に触れ合える奈良に住みたいというのが結論かもしれない。つまり奈良は奈良でも、ハイソな学園前、大阪の衛星都市たる生駒、京都の植民地たる高の原ではダメだ。

もちろん東京に鹿を解き放つ案は夫婦間の問題の解決にはならない。

世の中ままならないものである。

#どこでも住めるとしたら

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