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noteに戻ってきて思ったこと

私は、noteが正式公開されてすぐに会員になった。個人のコンテンツを気軽に売買できるという野心的なコンセプトに興味を持ったからではなく、自分の思索や想いを文章として吐き出しておくには丁度良い場所と思ったためだ。

だから、奈良に関することを文章にして投稿してみた。すると、何人かの人が反応してくれた。奈良に住んでいる、あるいは興味がある人、鹿が好きな人などだ。これはとても嬉しい体験だった。

でもやっぱり当時もnoteで本格的にお金を稼げないか?と考えている人達が多く居て、それに感化され私の興味もそちらに向かい始めた。私はエンジニアだったから、noteをハックして何か価値を提供できないか?と考えた。それで、外部サービスとうまく組み合わせて、noteでは提供されていなかった相互フォローを調べる機能、RSSフィードを出力する機能、自分のnoteを一覧化する機能などを次々と作っていった。それは当時のユーザーの皆さんに使っていただけて、小額ながらお金にもなった。でも、知らないうちに広まってしまいnoteに負荷がかかったのかな?ある時、私が利用していた外部サービスからnoteへの接続が弾かれるようになった。私は落ち込んだ。

どうやら、noteから次々生まれるコンテンツを楽しんだり、ユーザー同士つながって充実したnote生活を送るよりも、非公式の機能に便利さを感じて喜んでくれるユーザーの姿、お金という分かりやすい評価といったものに喜びを見出すようになっていたらしい。すっかりモチベーションを失った私は、noteから遠ざかっていった。

でもあれから色々あって(この辺の話はまたいつか)、結局原点に戻った。奈良のことを投稿しようと。そしてそういったものを投稿するのに最適な場所は、1年半経った今でもやっぱりnoteだ。

早速奈良の記事を投稿した私に、活動をを続けていたnoteユーザーの方々がスキをつけてくれた。その時、私はnoteで最初にスキを貰ったときの喜びを思い出した。そして、あのキャッチコピーも。

つくる、つながる、とどける。

昔も今も、それがnoteの価値なのだ。

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