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『理由なんてない』

怒っているわけではないが、ずっと引っかかることがあるわけで名前も知らないようなタレントやらぽっと出てはすぐ見えなくなった芸能人、または事務所に所属もしてない配信者と呼ばれる方が言う「一般人」という扱いである。
 なぜ引っかかるというとたいした私とそちらサイドの皆様変わらないじゃないのと思うわけでして、どう変わらないと言われるとSNSのアカウント無ければそこら辺の街中で「ちょっと奇天烈な人だな」と言うのが私が思うそちらサイドの人間で、ただ何かオリジナリティもなく有名どころの腰巾着で有名になったような人が私のような人を「一般人」と敬称するのはなんかひっかかるわけで「実力があります!」といくら本人の口から言われてもそれを評価するのは、私のような興味すらない中立的な観点の人達なもので、わかりやすい言い方をするならば好感度と呼ばれるものである。
 軽く毒を吐いてしまいましたが、なんかSNSのフォロワー数やら生配信の閲覧数の多さで「偉い」「すごい」と言われる人になんか私嫌な気持ちになるんです。よくくだけた会話にて「お前は知りすぎたから消えてもらう。」なんてあるけど、本当に余計なこと覚えてると往年のテレビ企画の劣化版をする人見てるとなんか胸のつっかえが増えてく。特にテレビはオワコンと言っている人ほどの話です。
 こういう意見をグダグダと書いてると直接いってこいなんてキレる人もいるが、私にはトークスキルなんぞ御座いません。ネットでスマホをペチペチ叩いてこのような駄文で失礼なこと書かせてもらってる。さらに書くとしたら話し合いで解決できない前例なんて社会出てからいくらでも見たことある。
 私なんて実力ないこと自覚しているわけでかといって馬鹿なことしてまで、一瞬のバズりがほしいわけでもない。ただ毎日を後悔しないように生きていたい。でも不満あれば口に出したい。無名な私が急に有名な人になったら、それはもう事件という次元なわけで、そんなことでチヤホヤもされたくない。ここで乗ってしまったら、ぽっと出てすぐ消え見えなくなった芸能人と変わらないんじゃねえか。となんか周りを切ってしまったような気がする。
 私はそちらサイドになってしまったら、この世界の人を「一般人」と言ってしまうのだろうか。なんかそれイヤだな。かといって大切な人できた時にないがしろにもしたくないしわからないものでその時が来たらでいい。

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