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失敗という”心残り”

こんにちは。
途中まで観ていたシリーズものの海外ドラマの続きを観たら、登場人物の名前をほとんど思い出せなかったならさんです。
でも、めちゃくちゃ面白かった。連続で3話観ました。なのになんで途中で見るのやめちゃうんだろ?
ハマりまくった海外ドラマをある日突然観なくなる、この現象の名前を誰か教えてください。

「どんどん失敗しようぜ!」

世の中の成功してる人たちは、みんなが見ている成功の何倍も、何十倍も失敗している。
100の失敗からたくさん学んで、1つの成功を成し遂げている。
だからみんな、失敗していいんだ!どんどんチャレンジしよう!失敗しようぜ!

という本やブログや記事やツイート、巷に溢れてますよね。

みなさん、この言葉を読んでどう思われますか?
「よっしゃあああ失敗したるでええええ!いっぱい失敗して成功したるでええええ!」
ってなりますでしょうか?

それとも、
「え、うん、そうだね、うん多分そう、理屈ではわかるんだよね、わかるんだけど、なんかね、うん、失敗やっぱ怖いし。でも成功はしたいなあ」
くらいでしょうか。

ぼくも時々呟きます。
「失敗していいんです、やりたいと思ったらやってみましょう!」って。割と無責任に。
そして僕は、上にあげた2つの考え方を、その時の思考モードでどちらも使ってる気がします。

上の2つのものの考え方、仮に思考Aと思考Bとします。
失敗というものに対して、思考Aはポジティブに捉えていて、思考Bはネガティブに捉えている、という感じがあります。
思考Bには、"動こうとしてるけど動けていない"というもどかしさも感じますし、できれば思考Aのように、失敗をポジティブに捉えたい。

けれど、そもそも、思考Aと思考B、それぞれが捉えている「失敗」のイメージは違うものだ、という気がするんです。

失敗 = ふと思い出すと思わず声が出ちゃうやつ

過去の失敗をふと思い出した時、思わず声が出ちゃうことってありませんか?

僕はあります。
それはもう、たとえ街中だろうと電車内だろうと、不意に浮かんだ過去の失敗の光景や感情に刺激されて、「ふわっ!」だの、「おおうっ?!」だのといった、意味不明な言葉が勝手に口をついて出ていきます。

電車内だったりしたらすかさず車内広告を見て、「春の旅行か、それもいいな」なんて独り言を言って誤魔化そうとしますが多分誤魔化せていませんね。ていうか余計怖い。
でもまあ、そんな感じです。

中でもサッと思い出せる「思わず言葉が出ちゃう過去の失敗」の代表格を1つ、ご紹介します。


僕はその頃、高校生でした。
ある日、学校からの帰り道、同級生との会話の中で、ふと小学校時代によく遊んだ友達のことを思い出しました。

そして思いました。会いたいなと。久しぶりに遊びたいなと。
こんな記事を書いちゃうくらいの僕ですから、当時からそんな感じで、そうしたいと思ったら止まりません。
今日会いたい、今会いたい、になりました。

しかし、彼は別の高校に通っていて、当時はお互い携帯電話も持っていない時代と身分。
でも遊びたい。今日。ナウ。

どうしたか。

電話しました。

公衆電話から。その友達のお母さんに、ちょっと久しぶりにそちらのお家に遊びにいきたいんで、車でここまで迎えに来てください、って。


どうです、この失敗、このヤバさ
いまは覚悟を持って話しているので、のたうち回らずに済んでますが、独りで部屋にいる時にふっと思い出したりなんかしたら、”ひぃやぁぁあぁぁぁぁ”って叫びながらゴロンゴロンしちゃうくらい、僕にとっては失敗です。
というか過去の汚点。

でもですね、これを聞いた他の方は、それは苦笑くらいはするんですが、意外と普通に聞いてくれるんですよね。
ならさんおまえやっばいな!とか言わずに。

ありがたいような、不思議なような。

失敗ってなに?

この僕のやらかしエピソード、前回の記事に書いた大原亜希さんのオンラインセッション中にも、ご参加された皆さんに披露いたしました。

皆さんの反応も、苦笑とかそんな感じ。
中には、「でもこうしてネタにしてみんなを楽しませて笑顔にしてるんだから、プラスマイナスでいったら、プラスなんじゃない?」という、何その関西的発想??(失礼)、な感想をくださった方もいらっしゃいました。

僕にとっては激ヤバエピソードでも、傍から見れば、そんなものなんでしょうかねえ。

この回のセッションテーマ、実は「失敗とは?」というものでした。
それぞれが過去の失敗と思うものをシェアした後、ホストの亜希さんが、こんなことを言われました。

失敗を過去においてくると、失敗になるんじゃないかな。

あの時こうすればよかった。
ああすれば、今とは違う何かがあったかも。
でも、今からではどうすることもできない。
過去の失敗は、そこに失敗として置き去りにされている。

変わることのない過去の出来事に対して、今でもそんな風に思いを残していること、未練の気持ちが、その出来事をその人の中での「失敗」として認識させているのではないか、というのです。

裏を返せば、現在もしくは未来につながる失敗、例えば、
あの時のあのミスからこんなことを学んで今がある。
あの時はできなかったけど、だからこそできるように頑張って、今ならきちんとやれる自信がある。
なんていう繋がりがあると、過去の失敗はそこに置き去りにされることなく、きちんと昇華されて、自分の納得のいくものとして心に収まり、心残りが生まれない、ということになるでしょうか。

言うなれば、
失敗を失敗だけのものとして否定的に捉えずにいられる。
失敗は、成長のためのステップとして、変えることのできない過去の出来事を現在の心で肯定的に受け止められる。
そんな感じかもしれません。

なんだか近づいてきましたね、
Youどんどんチャレンジして失敗しちゃいなよ! マインドに。

失敗の感覚にある、"未完"の意識

とはいえ、そう簡単にどんどん失敗マインドに変えられないのも確か。
だとしたら、僕を含む、失敗を意識しちゃいがちな人たちはどうしていけばいいのでしょうね。

セッションの中で、亜希さんや皆さんの失敗に関する話を聞きながら僕が思っていたことの1つに、心残りは未完の意識に通じているな、というものがありました。

未完、つまり、まだ終わっていないこと。

あの時ああすればよかった、って、まだ終わってない感じがしませんか?
ああすればどうなったのだろう、が見てみたい、知りたいようなニュアンス。

心がそこに残っている以上、その位置からもう一回、今度は「ああすればよかった」をやってみたい。
その人の心の中では、そのことはまだ終わってないない、未完の出来事で、心はそれをちゃんと解決したい、と「未だに」思っているのではないでしょうか。

僕の恥ずかしい失敗を例にして考えてみます。

セッションでのシェアを通して、僕がこのことを失敗と捉えている大きな理由は、「友達のお母さんを怒らせてしまったかもしれない」という不安です。
実際その時迎えに来てくれたお母さんは(迎えに来てくれたんですよ!感謝!)、何もおっしゃっていませんでしたし、僕も特に気にしていませんでした。
何せそれがやばい要求だって気がついたのはそれから何日か経ってからでしたしね!

でも、いやだからこそ、その時友達のお母さんはどんな風に思っていたのか、を聞けませんでした。
気がついてからは、あまりに恥ずかしいことをしたという引け目で聞けなくなりました。
そしてそのことが、今の今まで、そのことを失敗として覚えている、ということにつながっているのです。

これが、僕の中の未完の意識です。

過去をこれから完結させる

過去は変えられません。
その時に戻って、「怒ってます?」と聞くことはできません。
(なんでそんな煽るような聞き方するのか、は置いておいて…)

けれども、これからできることもあります。

そう、聞けばいいんです。
あの時は失礼しました、ご不快に思われていたら申し訳ありません、と。
もしかしたら、僕の思う通り怒っていらしたかもしれません。
でも、全然気にしていなかったかもしれません。
むしろもう忘れている、という可能性が一番高いのかもしれませんし。

そうなんです。きっとそういうものなのです。
失敗で迷惑かけた、が、実際は勝手な思い込み、そんなことだってたくさんあるのに、なぜだか頑張って、心残りをいっぱい作り、未完の意識を溜め込んでいる。
そういうこともあるかもしれません。

あの時ああすればよかった、こうすれば違う未来があったかもしれない、の「あの時」は確かにもう戻ってきません。
どんなに心を残していても、時間も身体も、そこに戻ることはありません。

けれど、「あの時ああすればよかった」と同じような状況になった時、「今度はああする」を選択することはできます。
「あの時ああすれば」という過去を覚えていて、その気持ちにしたがって、今度は「ああした」ことで、「ああすればよかった」の結果を経験できるのです。

その結果が、その人にとってどういうものになるかは、それこそやってみなければわかりません。
ただ、「ああすればよかった」の心残りは、実際にそれを「した」事によって、だいぶ軽くなるのではないか、と僕は思います。

「過去の心残り、未完の意識=失敗」は、それを糧にするこれからを自ら選択し行動することによって、現在へと引き取り、完結させることができる。

過去の失敗に、「こうすればよかった」と思っていることを、これからに活かしてみる。

それこそが、「どんどん失敗しようぜ」的な思考Aグループの捉えている「失敗」なのだとしたら、思考Bグループが少しずつでも始めていけることは、「ああ、前はこんな風にやって失敗したな」と思うことがあった時に、過去の「ああしていれば」を思い出し、今回は「ああする」をちょっと試してみる、という習慣をだんだんつけていくことなのではないでしょうか。

となるとやっぱり、その試行回数は多いほうがいいですよね。
ということは、失敗って沢山あっていいんですよね。
その分「ああしていれば」の題材も、試行回数も増えますし。

つまりやっぱり、こういうことですよね。

Youどんどんチャレンジして失敗しちゃいなよ!


あ、僕の失敗の解決策、友達のお母さんに聞くやつは、今度偶然出会ったら、で(未完)

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