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頼まれごとから自分を見る

頼まれごと月間

毎月、ひと月の振り返りの会を仲間と一緒にオンラインで行っています。

気心の知れた大切な仲間とする振り返りの時間は、自分と仲間の歩いてきた道を承認する時間でもあり、とても豊かな気持ちになります。
いわゆる安心安全の空間ですので、どんなことでも話すことができ(お互いがお互いを信頼している、という安心感はインスピレーションの源でもあります)、アイデアも沢山湧いてきます。

振り返り会の最後には、次の月の目標を宣言して出発する、というのが慣わしになっていて、今回は、2022年8月の目標を宣言しました。

そこで、ふっと頭に浮かんだのが、「頼まれごとを10個される」ということです。

どんなことでもいい。自分が「頼まれごと」だと思ったことを、10個、受け取ること。
それが、8月の目標になりました。

まあ、その日(8月1日)の時点で、すでに1つ頼まれごとを受けていて、フライングスタートを切れる、と言うのもあったんですけどね(笑)

いま丁度、自分にとってのSNS強化期間でもあるので、さっそくこの目標をFacebookに投稿しました。

投稿したら、ピーンと閃いた言葉が、こちらです。


頼まれごとは、自分が生きたい人生を創るヒント

小林正観さんの著書「3秒で人生が楽になる 悟りの法則」の中にこんなことが書かれていました。

”頼まれごとの多い人生は、豊かな人生だ(うろ覚え)”

うろ覚えで申し訳ないのですが、なるほどなあ、と思った記憶があります。

頼まれる、とは、どういうことでしょうか。
僕は、頼まれる、とは、「その人が、そのことをする人、できる人だ、と相手から思われている」と言うことだと思っています。

小林正観さんは、年間300回以上、日本全国を回って「心」に関する講演をなさっておられたそうです。
これは、正観さんが「この人に講演をお願いしたら、きっと聴く人に力を与えてくれる」と、講演の主催者の方々に思われている、ということだと思います。

そのことを自分に当てはめたとき。

頼まれごとを受けることは、
「自分がこの頼まれごとをされたのは、相手にとって自分がどんな風に見えているからだろう?」
という問いを立て、自分のことを見つめる機会になる、と思うのです。

僕はどうでしょう?
そして、みなさんはどうでしょう?

あ、これは頼まれごとだな、と認識した時、その頼まれごとがやってくるのは、自分が相手にどんな風に見えているからなのでしょうか。

全部やるの?

とはいえ、こんな風に思ったりもしませんか?

「いや、そう言うけどさ、これコピーとってきて、なんて頼みごとに、自分が相手にどんな風に見えているか、なんて関係あるの?」
「苦手な人から食事に誘われたのも、頼まれごとでしょ? それってどうしたらいいの? ホントいきたくないんだけど。。。」

ありますよねえ。

これも頼みごと、と捉えた時に、「自分が相手から、コピーをとってきてくれる(だけの)人」として見えている、「自分が相手から、食事に誘ったら受けてくれる人」として見えている、そのことが、なんとなーく、もしくは明確に嫌!!!と感じた時。

その時に、果たして、相手からそう見えている自分を、受け取る必要はあるんでしょうか。

そこについては次回、「断る勇気」として書いてみたいと思います。


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