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涙を流す場所。

寝てしまってた。

夢の中でずっとショパンのバラード1番が鳴っていて、その先に私をジッと見つめる眼差しがあり、でもその人はショパンを弾く人ではなくて戸惑った。
重苦しい厚い雲に心が包まれていくみたいになって、苦しいなと思っていたら目が覚めた。

昨日書くことについて少し書いたけど、このnoteには時々患者さんの話が出てくる。
まさこさんとか、和子さんとか。
フルネームが書かれていないとは言え、その人たちの取り扱いは大丈夫なのかという疑問を持つ人が…いるかいないかは知らないけど(笑)、一応言っておくと、実際の個人名とは違う名前をここでは使っている。
あと、細かい設定を他にも少しずつ変えていたり…。
だからフィクションとまではいかないけど、万一、その人の家族や病院関係者が読んでも、人物像がピタリと合致しないようにはしてある。

まぁ、そもそもここで私個人の詳細な属性や勤務先を明らかにしてるではないし(一度も書いてはいない)、もしかしたらそこまで気を使わなくてもいいのかもしれないのだけど…。
でも自分に悪気は無くとも、それを嫌がったり傷ついてしまう人がいるかもしれないことはできるだけ避けたい。
それが仮に良い話や美談であったとしても。
それくらいの慎重さや配慮は必要かなと思う。


外来患者さんの靖子さんはいつも話しながら涙を流す。
机に対面して座り、近況を尋ねる私の言葉が終わるか終わらないかくらいのところからワーッと話し出し、そして泣くのだ。

自分の身体の機能が失われたことへの悲嘆、認知症の家族が自分を忘れていってしまうことへの悲しみ、友人が去ってしまったことの苦しさ…。
ひとしきり話して涙を流したなら、そのあとは少しケロッとして、次は思わず笑ってしまうような日常生活上の失敗談なんかを語り出す。
そのときには本人も話しながら笑っていたりする。

もちろん、専門的な課題や訓練にも取り組むのだけど、でも最初の自由な語りの時間がとても大事な気がしている。
少し前は、泣いた後にもずっと抑うつ的な雰囲気を引きずっていたし、笑顔も少なかった。
でも今は笑いがたくさん出てくるようになってきていて、それが嬉しい。
再就職に向けての動きや前向きな話もあり、それも大きな変化だ。

ここに至るまで数ヶ月の経過のなかで、本当にたくさんの悲嘆の表出があった。
私は患者さんの悲しみを受け取るということも、自分の仕事の一つだと思っている。
大きな喪失を体験すると、その傷が癒えるまでは時間がかかるものだし、少し元気になった日もあればまたグッと悲しみに引き戻される時もあり、そうやって行きつ戻りつしながら人は自分の中の喪失や悲しみと折り合いをつけていくのだと思う。
人が悲しみを乗り越えるためにはその悲しみを味わい尽くすしかない。
そこに即効性のある特効薬なんて存在しないと私は思っている。

でも多くの場合、誰彼にでもその悲しみをぶつけられるわけではなく…。
靖子さんは特に思慮深く優しい人なので、自分の悲しみを語ることが誰かの心を重くさせることがあるのをよくわかっている。
だから普段は悲しみや不安をたくさん抱えながらもそれを自分の内側でなんとか留めて生きていて、私と会ったその瞬間にだけパッと放出させるのだと思う。

この人の前なら泣いてもいい、弱音を吐いてもいいんだと思ってもらえることは大事なことだ。
いつだって私のいる場所は誰かが気楽に涙を流せる場でありたい。
そんな存在としてこれからも目の前の人に対峙できたらいいなと思う。

なんでもない話、おわり。


明日もきっと良い一日。


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