見出し画像

相対性理論が生まれたきっかけは浦島太郎というアート

「アートからサイエンス」とは何かを1年間考えていた。
ちょうど1年前に伊藤穰一氏の記事を見たのがきっかけだ。

そこで「Krebs Cycle of Creativity」という物事のインプットとアウトプットの流れを表した図を彼は以下のように説明している。

画像1

Krebs Cycle III graphic: Neri Oxman, MIT Media Lab, 2018

「アートとサイエンスとエンジニアリングとデザイン、全部が必要になっていてこれが循環しているんですよ。サイエンスは自然の情報をナレッジに変える。エンジニアリングはナレッジを利便性に変えることができる。デザインはそれを社会へ。そしてアートは社会をperception(認知)し、イメージに変えてまた科学へ。これがひとつのループなんです」
https://media.dglab.com/2018/10/28-joi-01/

分かりやすい説明だ。
その続きが重要で、今回のテーマである。

今は「アートからサイエンスへ行く」このブリッジが壊れているという。この部分が稼働していないために、循環が滞り、それが現代社会の諸問題を生んでいる。ここに課題があるという。

「アートからサイエンス」。
ん。これは一体何だろうか。サイエンスからエンジニアリング、エンジニアリングからデザイン、デザインからアートはイメージできるが、「アートからサイエンス」が残念ながらぼくはその時イメージできなかった。
今稼働していない理由としては、仕組みの部分や送り手(アーティスト)と受け手(サイエンティスト)に問題があると考える。しかし”稼働していた時”の「アートからサイエンス」の具体例が思いつかない。記事でも触れられていなかった。

今世の中にはアートと呼ばれるものが古今東西星の数ほど存在するが、それらがサイエンスに一体どのようにリンクするのか。
モナリザ to サイエンス?
泉 to サイエンス?
ラビット to サイエンス?
世間でアートと言われているアートから考えてみたが、サイエンスに上手く結び付けられなかった。

この「アートからサイエンス」の具体例という問いに対する自分の答えが、「浦島太郎から相対性理論」である。相対性理論は浦島太郎というアートから生まれた。推論ではあるが、どのようにその考えに至ったかを書いておこうと思う。


今ぼくはニューヨーク工科大学のMaster of Fine Arts and Technologyで学んでいるが、そこで美学と理論(Aesthetics and Theory)というクラスを履修している。
そのクラスの課題図書が「Age of Spiritual Machines」という本で、著者はレイ・カーツワイル、Wikipediaから引用させてもらうと彼は「人工知能研究の世界的権威」で、本自体は1999年出版と古いが今なお色褪せない名著といわれている。
その課題で、第1章に出てくる理論や法則をリストアップする、というものがあった。その中にアインシュタインの相対性理論(Theory of Relativity)があった。
相対性理論は簡単に言うと(というか簡単にしか説明できないのだが)、時間の進み方は人によって違い、それは光の速度に近づくほど遅くなるというものだ。映画インターステラーは宇宙が舞台で、人によって時間の進み方が違うことを上手く表現していた。違う星に行って戻ってきたらだいぶ進んだ未来だったというシーンがあったりする。
。。これ浦島太郎やないか、とぼくは思った。浦島太郎のストーリーを時間の観点でいうと、亀と一緒に海に潜って行って幾日か過ごした後地上に戻ってきたら未来になっていた話である。海という名の宇宙である。

そこでふと思った。浦島太郎のストーリー自体はいつ生まれたのか。
Wikipediaで調べてみた。。

その前に。。ぼくがなぜ浦島太郎が気になったのか、理由としてちょうど今卒業制作(Thesis)で「AR(拡張現実)を活用したショートフィルム」(←何だそれ)を撮るために、台本をゼロから考えていたことが大きいように思う。どういうことかというと、台本を考えているのに筆が全く進んでいないので、まず先人の知恵&フォーマットを勉強すべきだ、、という考えに早くも至ったからだ。
「先人」の作品としてぼくの中で一番に思い当たったのは、宮沢賢治の「注文の多い料理店」である。

ぼくは子供の時からこの話が大好きで、次何の注文があるか分からないワクワクがたまらなかった。あのシンプルなシチュエーションの中で、滑稽な人間がどんどん自分たちの都合の良いように解釈して騙されていく流れが面白くて仕方なかった。

「注文の多い料理店」のように子供の時に読んでいた話や昔話・おとぎ話(英語で言うところのfairy tale)といったものにこそ、アイデアの発想のヒントがたくさん隠されているのでは!という”熱”にかかっている状況だったのだ(今もね)。なので浦島太郎に対してもフラットではないモチベーションがあった。

話を元に戻す。浦島太郎のストーリーはいつ出来たか。Wikipediaによると、元となる話自体は昨今ホットな万葉集の中に(8世紀)にすでにあったそうだ(すごい)。
https://ja.wikipedia.org/wiki/浦島太郎

そして英訳の項目を読んだとき、ぼくの中で浦島太郎とアインシュタインの相対性理論がリンクした。

バジル・ホール・チェンバレン訳The Fisher-Boy Urashima(1886年)として刊行されている

1886年。アインシュタインの特別相対性理論が発表されたのはその19年後の1905年である(相対性理論について前調べていたときに、1905年は「物理学奇跡の年」というネーミングが印象的だったので奇跡的に覚えていた)。
特別相対性理論が発表された約20年前に、浦島太郎の英訳版が出版されていたことにぼくは興奮を覚えた。

推論ではあるが、アインシュタインが浦島太郎の英語版を当時読んで、それが相対性理論のアイデアにつながったのではないだろうか。

当然アインシュタインが読んでいたかどうかは分からないし、彼が相対性理論を考えるきっかけの逸話は、たくさん残っていることだろう。
ただ世の中全ての出来事は、複数の出来事が絡み合って起きる。アインシュタインの相対性理論も元を辿れば複数のタネから生まれたと考えるのが普通である。ぼくが今回、卒業制作の台本、昔話、アートからサイエンス、といった複数のキーワードをリンクさせて、浦島太郎から相対性理論への推論を考えたように。。(レベルが違い過ぎて滑稽)。


浦島太郎に似たようなストーリーは日本以外にもきっとあるだろうし、あくまで推論ではあるが、「浦島太郎から相対性理論」こそ「アートからサイエンス」へ循環させた具体的な例だと考えた。

その文脈で浦島太郎は真のアートである。


小泉成文 (nari koizumi)

かんたんな自己紹介・・2019年9月からニューヨーク工科大学でFine ArtsとTechを学んでいる平成生まれアラサー日本人。思春期にスイス留学を4年間、東京のIT業界上場企業やベンチャーで社会人を5年間経験した後、アート・デザイン経験0でも海外美大を色々合格した為、へんな自信だけ持って現在世界のNYで挑戦中。

大好きな横浜名物シウマイ弁当を食べる時、人生であと何回食べられるんだろう。。と考えます