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人を試すのも人から試されるのも大嫌いという話

嫌いなもののことを書いてもあんまり読まれないことは承知しつつ、特に何か改めてこれを意識するような事件があったわけでもなく、逆に何もない時でないとフラットに書けないなと思っていま思い立って記しておく。

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人を試すことが嫌いで、自覚的には絶対にしないようにしている。
人に試されるのはもっと嫌いで、試されてると思った瞬間、その人への興味を持続するのが難しくなる。

ここでいう「試す」は端的には
- 自分が持っている見解や情報を隠して
- 相手の反応を待ち
- それを受けて対応を変える
以上の全てを満たす行為をいう。
別名「迎撃型コミュニケーション」。
但し自分と相手とが合意の上で教育する/されるの関係にある場合を除く。

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なぜ嫌いなのかというと、「対話の可能性を否定しているから」というところに尽きる。

相手を試す姿勢で対話するということは、相手の反応は全て予想通りであって、その対話から自分が得られるものは何もない(し、それで良い)という姿勢でいるということだ。

前提として自分を含め誰も完璧ではないので、誰と話すときでも、自分が相手に何か気づきを与える可能性も、相手が自分に何か気づきを与えてくれる可能性も、絶対に否定できない。
仮に結果としてそうだったとしても、それを前提とする姿勢は受け入れがたい。

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