一週間。



祖母が亡くなって一週間が経った。

まだどこか忙しなく、あの日の気配が生活の中に漂っている。これまでの人生の中で祖父母との関わりは非常に大きな意味を占めている。祖父には保育園の送り迎えの多くをしてもらったし、無口な人ではあったけれど底知れぬ愛情を感じていた。音楽や写真を始めるきっかけにもなった。

祖母は祖父よりももっと分かりやすく愛情を注いでくれた。まだ祖母が大岡山で働いていた頃、仕事終わりに迎えにいくことがあった。商店街を抜けて勤務先の職場のドアを開けるとき、少し誇らしい気持ちになった。友達が持っていたおもちゃが同じようにほしくて、電話でこっそりかけてねだることもあった。「内緒だよ」と言って大抵買い与えてくれた。

もう何年も前にもなるが、諸事情で祖父母と三人で暮らしていた時期があった。少し不便なこともあったけれど楽しかった。祖父母は青森の出身だ。作る料理は基本的に青森の田舎料理。一緒に生活をする中で味付けは祖母に学んだ。

人参の子和えは絶品。食卓に出るとカレー並みに白飯をおかわりした。その一方、卵焼きは絶望的に作るのが下手だった。おそらく火加減の問題なのだろうが、笑ってしまうくらい全部スクランブルエッグになった。

祖父が亡くなった後、祖母は「寂しい」とよく口にしていた。長年連れ添った人が先立ってしまう苦しみは想像する他ない。よく仏壇に向かって話しかけているのを見た。祖父が好きだからと月命日にお刺身をあげていた。

私が食事を作ると喜んで食べてくれた。特に鮭の南蛮漬けが好みにあったようでよく作ってくれとせがまれた。また、時折好きだったものを作ろうと思う。

まだ本格的には取り掛かってはいないが、少しずつ身の回りのものを整理し始めた。物が多いので時間をかけて取り組まなければならない。その中に日々のことを連ねた祖母のノートがあった。

人への感謝や嬉しかったこと、時には葛藤も。人間らしい感情が多く描かれていた。それを読んだ時、私はほっとした。寂しやさ孤独は誰もが抱えるものであり、共生しながら上手に付き合っていくものだ。身内ではあるものの年を重ねる中で他者がどの様な想いを抱くのか、その一端に触れることが出来て嬉しかった。

今はまだあの日の気配の中にいる。
悲しみと心を重ね合わせようにも上手くいかない。感謝と尊敬の念がようやく浮かんできたぐらいだ。これから穏やかではいられない思いがやってくるのかも知れない。しかし、それでもいつもの日々を過ごしていく。薄情なのではなく、死と生を理解をするためだ。一時の極まった感情によって終わらせることは私には出来そうにない。これが正しい向き合い方なのかどうかは分からないが、少なくとも今最善であると信じたい。心が語りかけるのを待って今日は眠る。

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