枯葉剤がカワウソを殺した

アメリカは、ベトナム戦争(1961-1975)で枯葉剤の不良在庫を抱え、その処分に困った。困った挙句に、沖縄に集めた。それ自体が、違法行為なので、沖縄に枯葉剤を集めたことをアメリカは認めようとはしない。枯葉剤は、沖縄に除草剤として散布され、海洋投棄され、埋設投棄された。しかし、それだけで処分できる量ではなかったはずだ。

また、日本は、ベトナム戦争でアメリカに協力して、245T(枯葉剤は、強力な除草剤である24Dと245Tを1:1の比率で混ぜる)を製造していたのである。沖縄に集められた枯葉剤の行方は、秘密のベールに覆われていて、判然としない。しかし、日本で製造された245Tは、林野庁の高級官僚が、日本の国有林に雑草対策と称して散布させ、それでも処理しきれなかったので、国有林内の山に埋設投棄させた。信じがたい蛮行である。それから歳月は流れたが、今も、枯葉剤は、日本の山に眠っている。

※立ち入り禁止
(2016年8月3日、高知県土佐清水市の国道沿いで撮影)

第24回『週刊金曜日』ルポルタージュ大賞入選作「枯葉剤がカワウソを殺した」(成川 順)より抜粋しました。(一部修正)

(カワウソの激減)

最近、農薬の散布に加えて、ベトナム戦争起源の枯葉剤の存在を、カワウソ激減の原因として考えなければならないことに気づきました。私が、枯葉剤が高知県の国有林野に散布、埋設投棄されていたのを知ったのは、2012年の秋のことです。『世界』(岩波の月刊誌)からカワウソ取材で派遣されたライターのMさんからそれを聞かされた時は、「えー、そんなことありかよー」と叫んでいました。しかし、カワウソ激減の時期と枯葉剤散布の時期はおよそ重なります。また、川や海の魚が10分の1に減ったというおそろしい話もそれと重なります。アユやウナギの原因不明の大量死が頻発し、「山菜を食べると、ガンになる」という噂が広がったのも、そのころです。

(枯葉剤とは何か)
 1961年から1975年までに、アメリカは、8万3600キロリットルの枯葉剤をベトナムのジャングルに散布しました。なるべく南ベトナム軍のパイロットを使ったり、民間機を使ったり、アメリカ軍の関与を表面化させないように工作しました。アメリカは最初から、枯葉剤の人体への影響を知っていたのです。それが化学兵器であることを知っていたのです。しかし、ジャングルの中のゲリラの動きを見るために、400万のベトナム人が枯葉剤を頭上から浴びせられました。まもなく、ベトナムでは多くの奇形児が生まれるようになりました。ベトちゃん、ドクちゃんは、あまりに有名です。集中散布地域のタンニンでは、1000人中64人の高率で奇形が発生しました。

散布したアメリカ兵も枯葉剤被害と無関係ではありませんでした。戦後、ベトナム帰還兵とその子どもたちにも異常が出てきました。1984年、枯葉剤製造会社に対し、4万人のアメリカ人が集団訴訟を起こしました。そして、製造会社は、被害を認めぬまま、補償金1億8000万ドルを支払う和解案に同意しました。和解を不服とする人たちが、1989年にふたたび訴訟を起こしましたが、却下されました。

枯葉剤は、24Dと245Tという除草剤を1:1の比率で混合して作ります。245Tは、日本でも生産されていました。245Tは、植物の成長ホルモンを過剰にして枯れさせる強力な除草剤です。アメリカは、245Tは植物対象なので化学兵器ではないと主張しましたが、人間にも健康被害が出ました。スウェーデンは、「奇形児出産の恐れがある」ということで、245Tの製造を中止しました。動物実験では催奇性が証明されています。人間で証明されていないのは、人体実験ができないからにすぎません。ベトナム戦争が激しさを増した時、アメリカの生産能力が需要に追い付かず、日本で作られた245Tが輸出されていたのです。

(枯葉剤の散布)
 私の隣人に、営林署一筋の人生を歩んだ80歳のKさんがいます。彼は、ニホンミツバチの巣箱を50個持っていて、私とよくミツバチの話をします。ある夏の日、地区の草刈りがあった時、「今年はミツバチが多いですね」と彼の方から話しかけてきました。「確かに畑でもよく見かけますが、最近の新聞では、少なくて困っている、とありましたよ。ところで、245Tを知っていますか」と私が質問すると、彼は、硬い表情になってうなずき、言葉を選びつつ、こんな話をしてくれました。

「1970年ごろ、国有林の天然林やスギ林、ヒノキ林で、強力な除草剤を散布しました。非常に毒性が強いということで、『スギ、ヒノキには絶対にかけるな』と注意され、日に2時間以上働くことを禁じられていました。粒剤でしたが、『作業が終わったら、シャワーを必ず浴びろ』と指導されました。その作業は、2年ほど続きました。除草剤として非常によく効いたと思います」

高知県では、1967年から1970年までに、その245T、1万5000リットルの乳剤と129トンの粒剤が国有林に散布されました。国有林というのは、およそ水源地のことでもあります。高知県の河川はどれほど245Tに汚染されたことでしょう。県有林、民有林でも実験的に10トン散布されました。県西部(旧佐賀町)の民有林で、「営林署に管理を委託したら、『今後、50年は入らないでください』と言われ、面食らった」という話があります。

ベトナム戦争がアメリカの敗戦により予想外に早く終わったので、アメリカは、枯葉剤の不良在庫を抱え込み、その処分を日本に押し付けました。さらに、林野庁から枯葉剤を押し付けられたのは、16県1道ですが、高知県は、散布、埋設投棄ともに全国で1、2を争う多さです。16県1道の名前をここに列記すると、北海道、青森県、岩手県、福島県、群馬県、山梨県、愛知県、岐阜県、広島県、愛媛県、高知県、佐賀県、長崎県、熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県です。人口集中地帯を外しているのは、原発建設の立地条件と同じ理由によるものでしょう。つまり、林野庁は、散布、埋設投棄の危険性は百も承知しており、そのリスクを田舎に押し付けたのです。林野庁の天下り先の中には、農薬製造会社があります。

高知県内では、四万十市(西土佐村)、四万十町(窪川町)、いの町(本川村)、北川村、大豊町、安芸市、土佐清水市、津野町(東津野村)、宿毛市、と県下全域に及んでいます。(かっこ内は、合併前の行政区分)県土全体が、枯葉剤によって汚染されたと考えるべきでしょう。

イノシシ猟師の平賀真助さん(大川村・村議)は、若い頃林業関係の仕事をしていたこともあり、山の変化を目の当たりにしてきました。私は、25年前に大阪からIターンしてきたのですが、その頃から親しく付き合っています。枯葉剤の話をすると、以下のような言葉が返ってきました。 

「大川村の井野川では、40年ほど前、天然林の皆伐をする時、ササが作業の邪魔になりました。それで、強力な除草剤を散布しました。それが、枯葉剤であったのかどうかはわかりません。しかし、その影響で、井野川からサンショウウオや天然のアメゴが姿を消しました。今、井野川にアメゴはおりますよ。しかし、あれは、その後放流したアメゴです。それから、上から石を投げたら川の色が変わるほど魚がいたんですよ。今はそんなこと起こりません。魚がめっきり減ってしまいました。営林署は、署員には、散布作業はやらせず、下請けにやらせていました」

(野生動物への影響)
 『世界』のMさんから『日本の枯葉剤』(原田和明・五月書房)という本を紹介されました。その本には、245Tの散布によって日本の野生動物がどうなったかが少しだけ書かれています。アメリカは、枯葉剤を「人畜無害」と言ったけれど、そんなことはありません。その材料の245Tですらはっきり「人畜有害」なのですから。

1970年には、下北半島のニホンザルがエサ不足から南下を始め、多くの奇形が生まれました。エサ不足というのは、下北半島の動植物の生態系に大変動が起こったということかと思われます。散布の3日後に、カモシカが口から泡を吹いて死亡しました。四国では、ニホンカワウソが激減しました。カワウソの場合、魚やエビ、カニを食べるので、生物濃縮によって、他の野生動物より245Tの影響を大きく受けたということではないでしょうか。

人間にも影響が出ています。散布した地域では、流産が多くなったというデータがあります。また、ガン患者が多くなったというデータもあります。日本人の母乳からはダイオキシンが検出されることがありますが、それも枯葉剤起源であろう、と囁かれています。

(埋設枯葉剤の回収)
 いの町在住の山脇幸一さんは、かつて須崎営林署の組合委員長をしていました。その関係で、1984年当時、埋設投棄した人(営林署員)に案内させて、245Tの回収作業を指揮した経験があります。

「埋められていたのは、不入山(いらずやま)の8合目付近でした。1.5メートルくらい掘ったところから出てきました。一斗缶のような缶に入っていました。穴はあいていなかったです。臭いもしませんでした。回収して、しばらく須崎営林署の倉庫に入れていましたが、指示があって、高知市の営林局に持って行きました。その後その245Tがどうなったかは、私は知りません」
 不入山というのは、四万十川の源頭部です。仁淀川、物部川、吉野川でも同じことが行われていたようです。つまり、信じがたいことですが、よりによって、一級河川の 源頭部という最も避けるべき場所に245Tは埋設投棄されていたのです。

2013年6月25日、高知市の営林局に行きました。全国山林労働組合高知県本部・執行委員長の浜田嘉彦さんに会うためです。彼は、1984年、埋設枯葉剤が愛媛県など全国各地で流出していることが問題化した折、全林野四国本部・書記長として、林野庁と交渉にあたり、埋設枯葉剤回収の指揮をとった人物です。
 「当時、農薬使用に反対する全林野は孤立していました。林野庁だけでなく、マスコミからも批判されていました。学者は、およそ御用学者ばかりでした。『農薬を怖れるのは、科学的でない。時代遅れである』などと批判されていました。埋設された245Tの回収は、四国だけでなく、全国的に一応終了しています。それぞれの地域で1カ所に集め、コンクリートで周囲を固めて、管理しています。時間が経っているので、市町村役場ではおぼつかないでしょうが、各地の森林管理所で聞けば、集中管理している場所を教えてくれるはずです。245Tは、最終的には、火力発電所か何かで、1300度以上の高温で焼却するしかありません。四国電力も火力発電所を持っていますから、私は焼却処分の交渉をしました。しかし、『危険である』ということで断られました。ですから、焼却のための火力発電所を国が作って、焼却が終わったら、誰かが火力発電所として使ったらいいんです。毒物は、どこにあっても毒物で、放射能と違って、半減期というのはありません。245Tの焼却無害化も、喫緊の課題です。私たちは、昔から、松くい虫防除の農薬散布にも反対していますが、こちらの方はまだ止まっていません」

最初に埋設されたのが1971年、流出が問題化し、全林野に発掘され、再度埋設されたのが1984年です。時間は十分に流れています。容器やコンクリートの劣化も気になりますが、地震や洪水、山津波なども心配です。一日も早い245Tの再発掘、無害化、焼却処分が望まれます。

もし、全林野による245Tの発掘、回収作業がなければ、今頃日本は大変なことになっていたことでしょう。(浜田さんの指示が末端までいきわたっていたかどうかは、疑問)1984年と言えば、アメリカで枯葉剤訴訟が和解した年です。まだ道半ばですが、世界の良識が、アメリカ軍による枯葉剤使用を批判、告発し続けています。全林野の地道な反対運動が「時代遅れ」でなかったことが、日本の世論でなく、世界の世論によって証明されたかっこうです。

※コンクリートで固める。(2016年8月4日、高知県四万十町にある国有林の深奥部で撮影)

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