冷蔵庫に潜んでいたノスタルジーとしょうゆ差し

冷蔵庫は懐が深すぎるんだと思うのですよ。

「冷やしておけば、しばし保つだろう」という理屈の元で、あらゆるものがぽいぽいと放り込まれる。もちろん冷蔵庫自体の容量の差はあるけれど、「あの人(冷蔵庫)なら受け止めてくれるはず」と思わせてしまう、あの器のデカさは良く考えてみるとすごい。

しかし、その懐のデカさゆえに、色々と飲み込みすぎるんだろうなー。冷蔵庫が受け入れてくれたことすら忘れてしまったものとかが、たまに奥底から発掘される。

大きいサイズの冷蔵庫に買い替えた時、そういった死蔵品が出ないようにしよう、と意識はしていたんですけれども。死角というものは目に見えなくなるから死角というのだな…と、懲りずに冷蔵庫にしまったことすら忘れていた埋蔵品を見つけ出して、再認識したとこです。

とはいっても、今日の発掘品はしょうゆ差しです。セーフ!

小さい頃から実家にあった、しょうゆ差し。中身が無くなると、食料棚から大きなしょうゆのボトルを取り出し、この卓上用のしょうゆ差しに移し替えていたことを覚えています。それは、まだ火を使わせてもらえないくらい小さかった私の、小さなお手伝いでした。

一人暮らしをしてしばらく経った頃、実家でこのしょうゆ差しを見つけまして。今はもう使っていないというので、貰い受けることにしました。いつも家族とご飯のそばにいたしょうゆ差しが、一人暮らしの、私だけの食卓の上に乗っているなーと思うと、すこし不思議な気がしたです。

なんというか、私は私の食卓を、作っていくんだなぁ、なんてセンチメンタルなことを考えたと言いますか。

しょうゆ差しを久しぶりに見つけて、洗い上げてみるときらきらしていて。それなりに昔のものだし、実家でも長年使い込んでいたはずなんだけどガラス濁ってないなぁ…と、しばらくお日様に透かして眺めてながら、そんなことを考えたなぁと思い出しました。

あの頃一人だった私の食卓は、今はふたりです。

今日のご飯は、久しぶりにこのしょうゆ差しを出してみようかしら。でも液ダレするし、たっぷりは入れないようにしないと。そこ大事だった。

それでは、また。

<初出:2017年9月3日 / 更新・再掲:2018年6月19日>

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