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わたし、定時で帰ります。 会社ドラマの再編成


リアルサウンドで『わたし、定時で帰ります。』について書いたのですが、補足的な感じで、色々書いてみようかと思います。

どの記事も会社をどうドラマが描いてきたのか? が部分的に書かれてます。

今、会社で起きてることは、バラバラの労働観を持った世代がいてお互いに混乱しているみたいな話で、上がバブル世代、下が新卒世代(2014年以降入社組)で、その間にいるのがゆとり第一世代(87年生まれ)みたいな構図ですかね。

 『わた定』もそうですけど、2016年の『ゆとりですがなにか』がゆとり第一世代(87年生まれ)を主人公にして入社2年目のモンスターゆとり社員の山岸を描いてたのが一番早かったのではないかと思います。

 吉高由里子が演じる結衣の年齢は32で、『ゆとり』の主人公たちと同じ世代ですね。2歳下になるけど『獣になれない私たち』の晶もほとんど同じ世代と言ってもいいかと思う。(松田龍平が演じた恒星は32)

『ゆとり』によるとゆとり第一世代は大学入学時にリーマンショックを体験しておりその余波で就職難に直面している。人によっては就活時期が3.11の時期なわけで。劇中の台詞にもあるけど、全然ゆとりじゃない人生な訳です。

 よく就職氷河期世代と言うと70年代生まれから下15歳くらいまでごっちゃで語られますけど、実は微妙なグラデーションはあって、06〜08年の就職は売り手市場だったリします。実際この頃ってもう一回バブルが来るみたいな機運は少しあって、むしろ新卒と中途採用されない団塊ジュニアの格差が語られてたんではと、思います。
http://en-gakusei.com/2006/

ただまぁ、この辺りから格差を語る言葉って急激に増えましたよね。闇金ウシジマくんが面白くなってきたのも、この辺りだったし。 

『ゆとり』も『けもなれ』も、バブル崩壊以降に社会に出た団塊ジュニア世代の年齢で、最初の就職氷河期世代で、彼らがリーマンショック以降の氷河期世代を描くことで、現代的な作品に仕上がってるのがこの二作かと。多分「わた定」もそういうところがあるかと思います。

同時にいいなぁと思うのは、『女王の教室』や『ハケンの品格』にあったスーパーヒロイン化を免れてるところ。ただだからと言って機械みたいに振る舞うスーパーヒロインを否定するつもりはなくて、あれは逆説的に、ああ言う風に自分自身をメカみたいにキャラクター化しないと社会で戦えなかったってことなんだろうと思う。多分、『ショムニ』ぐらいから登場人物の戯画化、ヒロインのキャラクター化が進行しだしたんだけど、それと同時に脱トレンディドラマ化が進んで、会社がちゃんと書けなくなったのが00年代以降だった。それが今は逆に会社を舞台にしたドラマが増えてきてるのは、ここが社会の最前線って意識があるからなんだろうと思う。と同時に30代の女性を等身大の存在として書けるようになってきてて、そのことによって会社における女性差別の問題も書けるようになってる。

 LGBTQを題材にしたドラマも今期は多いけど、労働と性の問題が描けるってのが会社モノが今一番求められている理由ですね。

まぁ、本音を言うと一度も会社に勤めたことがない立場からすると、そこからこぼれ落ちる自営業、フリーター層、非正規雇用層がどこかいないことにされてる感じはあったりはするんだけど。


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